韓国の「戒厳令」は、なぜ一夜にして潰えたのか? 背後にある「韓国が経験してきた30年の歴史」
gendai.media/articles/-/142655

 “韓国の政治学者や社会学者たちは、民主化を〈制度化/内面化〉の二つの次元で捉えた上で、1987年6月の「民主化宣言」後の歩みを「漸進的民主化」と分析している。どういうことかといえば、大統領直接選挙、地方自治の実現、言論の自由など、民主化のための制度的基準は整ったが、これを動かす民主的規範の内面化には至っておらず、いまだ反民主的な規範=「積弊」が清算されない民主化途上、という意味だ。”

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 “韓国の民主化は、なぜ「漸進的民主化」とならざるをえなかったのか。それは骨の髄までしみついた権威主義的な政治文化が、民主化の内面化を阻んだからだ。権威主義に立つ軍事文化の積弊は独裁時代の残滓である。

しかしこれは遡れば、日本帝国主義の残滓でもある。1945年の解放後、分断の混乱をへての国家再建過程で、日本統治時代の遺制とともに軍隊や警察にはびこる暴力的体質が、韓国の軍隊や警察にそのまま相続されたのだ。”

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韓国の「戒厳令」は、なぜ一夜にして潰えたのか? 背後にある「韓国が経験してきた30年の歴史」
gendai.media/articles/-/142655

 “1997年、民主化への第一歩となる光州事件が勃発した5月18日が国家記念日に制定され、犠牲者たちが眠る望月洞墓地は「国立5・18墓地」に昇格された。その結果、殉職した軍人を祀る国防省管轄の「国立忠顕院」と、軍人に抵抗して闘った死者を祀る「国立5・18墓地」が、ともに国家に殉じた死者を顕彰する聖域として併置されることになった。

 だが、両者がそれぞれ命を捧げた「国家」という対象は、互いに相容れない国家観に依拠している。一方は共産主義の同胞国家・北朝鮮と厳しく対峙する分断国家・大韓民国に殉じ、もう一方はきたるべき理想の国家、「統一祖国」のために殉じたとされる。

 こちらで祀る友軍(英霊)があちらでは敵軍であるという二律背反について、倫理学者の金杭は「国家の追悼が〈友/敵〉区分を宙吊りにしている」と表現する。つまり、二律背反した国家の追悼行為のせいで、死者たちは国家にとって友軍であり、かつ敵軍という両義的存在、どっちつかずの状態におかれている、ということだ。”

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