“秩父事件は、あるべき仁政が行われないことに対する怒りや、自由党に幻想的な解放を求める民衆の願望が混ざり合って起きた暴力行使であった。しかし、すでに暴力の正当性が国家に集中しており、蜂起しても国家の暴力装置によって鎮圧されることは民衆レベルにも認知されていた。
訴願による仁政要求が認められず、暴力行使もできなくなるとしたら、問題解決の手段は何があるだろうか。この点について、安丸良夫は、秩父事件後に武相地域の村々で県からの節倹法が作られたことに注目している。”
民衆暴力―一揆・暴動・虐殺の日本近代https://www.chuko.co.jp/shinsho/2020/08/102605.html
“序章では、通俗道徳が荒廃する農村を立て直すための思想として、近世後期に民衆のなかに浸透していったことを確認した。その通俗道徳は、明治期になると、このように公権力による統治のイデオロギーとして用いられた。自己責任の世界の到来を、あ「抑うつ的で緊張にみちた“近代”というものが、人びとの生を全面的に規制しはじめた」と安丸は表現している(『文明化の経験』)。”
民衆暴力―一揆・暴動・虐殺の日本近代
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“冠婚葬祭は最小限の人を招き、できるだけ簡素にすること。家などを建てる際にも、酒を禁止し、棟上げの時に餅を投げる慣習を禁じること。こうした日常生活の祝祭を可能な限り質素簡略化し、浪費しないことで、貧困に備え、景気変動に耐えられるようにする。これが節倹法の趣旨であった。
[前略]松方デフレは、政策上つくり出されたものであった。そこでの困窮はこうしたささやかな努力だけで乗り越えることは困難である。にもかかわらず、このような節倹法によって、貧困の原因が個の生活態度の問題に還元されるようになる。松沢裕作は、通俗道徳によって、貧困が自己責任と捉えられるようになる仕組みを、「通俗道徳のわな」と呼んでいる(『生きづらい明治社会』)。”
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