「光州事件」を超えて〜韓国民主化の中で40年生き続けた光州5.18を知る(上)
https://imidas.jp/jijikaitai/D-40-141-20-06-G734
“だが、光州市民のこんな奮闘や戒厳軍の狼藉は、韓国の他の地域には全く伝わっていなかった。「報道指針」と呼ばれる厳しい報道規制のためだった。韓国の18日、19日のニュースに光州は取り上げられなかった。業を煮やした市民たちは公営放送KBS、MBCの光州支社を占拠し、火を放った。20日、『全南毎日新聞』の記者一同は辞表を白紙の新聞に掲載する。「私たちは見た。人が犬のように引きずられ死にゆく姿をしっかりと見た。しかし新聞にはただ一行も載せられなかった。これを恥じ私たちは筆を擱く」。”
「光州事件」を超えて〜韓国民主化の中で40年生き続けた光州5.18を知る(中)
https://imidas.jp/jijikaitai/D-40-142-20-06-G734
「光州事件」を超えて〜韓国民主化の中で40年生き続けた光州5.18を知る(下)
https://imidas.jp/jijikaitai/d-40-143-20-07-g734
“光州5.18は、大統領直接選挙制を求める1987年6月をピークとする民主化運動の随所に影響を与えた。同年1月、民主化運動を行っていたソウル大学生、朴鐘哲(パク・ジョンチョル)氏が韓国内務部・治安本部の拷問により死亡する事件が起きた。だが当局は当初これを事故と発表し、後に加害があったと認めるが、その実態を矮小化した。しかし良心ある関係者の告白により、過酷な水拷問による死亡であることが明らかにされた。これを「天主教正義具現全国司祭団」が暴露したのは、1987年5月18日の「光州5.18」7周忌追悼ミサの場であった。”