『日本人の戦争観  戦後史のなかの変容』吉田裕著
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 “そして羽田内閣が誕生すると、羽田は「侵略戦争」という言葉を頑なに拒み、「侵略的な行為」という表現にとどめた。国会で志位和夫から「あの戦争全体の性格、目的が侵略であったという戦争全体の認識」となる「侵略戦争」と、「個々の行為の問題」と言い抜けできる「侵略行為」という表現では「全く次元が違う」と追及されると、羽田は「私は、あなたのような学問をされる、あるいはそういう追求する型の人間じゃありません……ですから、そうやって一つずつ詰められれば、何というのですか、いろいろな問題があるかもしれません」と「ひらき直りとも思える答弁を行っている」。”

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 “ちなみにこの「学問」を持ち出して侵略か否かを明言するのを拒むというのはすでに六〇年代、七〇年代の佐藤栄作や田中角栄の時代から行われてきたことで、安倍晋三もこの「伝統」に倣った。まともな歴史研究者で日中戦争を侵略ではなかったなどという人はまずいないわけで(日本が攻撃されたわけでもないのに首都をはじめとする主要都市を次々と攻め落としたうえで支配しておいてこれを侵略でないとするなら、地球上の歴史において侵略戦争などほとんど存在しないことになってしまう)、この意図が「学問」的知見の尊重でないのは言うまでもない。”

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『日本人の戦争観  戦後史のなかの変容』吉田裕著
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 “著者はこの時期政局の中心にいた小沢一郎の『日本改造計画』に注目する。「そこには明らかに、羽田首相の「結果としての侵略戦争」論と同質の歴史認識が示されているのである」。

「こうした小沢の議論の中で特に注目しておく必要があるのは、彼の問題意識の根底に、アジア地域で日本が積極的なリーダーシップを発揮する際の政治的障害としての戦争責任の問題、という発想が感じられることである。したがって、そこで強く意識されているのは、アジア諸国の世論にいかに効果的にアピールするかということだけであって、戦争の侵略性や加害性を認める方向での政策転換にみあう形で、日本人自身の意識改革をいかに行うかという問題関心はきわめて希薄である。具体的にいうならば、学校教育における近現代史教育の重視といった問題や、侵略戦争の実態を隠蔽することに終始してきた感すらある教科書検定制度の抜本見直しという問題は、ここでは全く視野の外に置かれているのである」。”

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