第6回 音楽という記憶装置 植民地支配の傷としてのトラウマ|君たちの記念碑はどこにある?――カリブ海の〈記憶の詩学〉|中村達
https://note.com/kashiwashobho/n/n442c7f64f075
“『黒い皮膚・白い仮面』において、ファノンは患者の記憶は無意識のなかに押し込められ、抑圧されている破壊的出来事の記憶が顕在化するように回帰するというフロイトの議論を引用し、このように解釈する。「神経症の発端には特定の体験(Erlebnis)があるのだ。[……]。これらの体験は無意識のなかに抑圧されているというわけだ[*23]」。しかしながら、その議論をそのまま「無批判に」植民地支配、そして奴隷制によって負った傷を持つ人々に応用することはできるのだろうか。ファノンは問う。「黒人の場合はどうだろうか?[*24]」”
第6回 音楽という記憶装置 植民地支配の傷としてのトラウマ|君たちの記念碑はどこにある?――カリブ海の〈記憶の詩学〉|中村達
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“「カリプソには、私たちが経験してきたこと、そして今も私たちを囲んでいる現実から逃避しているその遁走状態から、私たちを救い出してくれる可能性がある。カリプソニアンは、カリブ海の民衆の言葉、日常語あるいは民族言語を用いて、私たちの希望や夢を歌い、植民地支配者や現在の政治家たちの愚かさを批判してきた。彼らは私たちをからかいながら称えてきた。記憶しろ、と私たちに注意しながら[*53]」。ノービス=フィリップが言うように、カリブ海の人々の植民地支配によって負った傷(トラウマ)を癒し、「ポリフォニーを成長させる可能性を持っているのが、カリプソニアンなのだ[*54]」。”
第6回 音楽という記憶装置 植民地支配の傷としてのトラウマ|君たちの記念碑はどこにある?――カリブ海の〈記憶の詩学〉|中村達https://note.com/kashiwashobho/n/n442c7f64f075
“その社会で、人々は「圧倒的なトラウマ」から逃走フーガする。そのような痛ましい記憶などなかったかのように忘却の奥に押し込み、普通の生活を演じる。しかし、「カリプソは覚えている」。カリプソニアンたちは、カリブ海の人々が植民地主義、奴隷制、そして年季奉公制という500年にもわたる壮絶な歴史の中で経験したものの記憶を、自分たちの作品の中にエンコードしてきた。彼らの歌はそれゆえカリブ海の記憶装置であり、人々にその集団的トラウマを乗り越える力を与える可能性を秘めている。”