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第1回 カリブ海作家と「記憶」との諍い|君たちの記念碑はどこにある?――カリブ海の〈記憶の詩学〉|中村達
note.com/kashiwashobho/n/na5b5

 “ファノンいわく、西洋の植民地支配に虐げられ、非人道的な奴隷制によって人間としての尊厳を破壊され、年季奉公制によって使役された人々とその子孫たちにとって、人工衛星の打ち上げに「地球から脱出する」という楽観的で贅沢な希望を見出すことなどできない。なぜなら彼らは「地に呪われた」状態であり、地球を自分たちの「人間の条件の本体そのもの」、「努力もせず、人工的装置もなしに動き、呼吸のできる住家」にすることすらできていないからである。”

第1回 カリブ海作家と「記憶」との諍い|君たちの記念碑はどこにある?――カリブ海の〈記憶の詩学〉|中村達
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 “それゆえファノンはこのように言い放つ。「当たり前だ、人工衛星スプートニクの時代に人が飢えて死ぬなどとあっては滑稽だ、と言われるかもしれない。だが原住民大衆にとって、その説明は月の世界とはさほど関係がない[*8]」。月の世界へ届くほどの人類の華々しい文明の発展の裏側には、植民地支配によって虐げられ続け、呼吸のできる住家もなく飢えて死んでゆく「地に呪われたる」人々がいる。西洋列強による支配から独立し、彼らはようやく「地球から脱出する一歩」ではなく「地球を人間の条件とする一歩」を踏み始めたのだ。”

第1回 カリブ海作家と「記憶」との諍い|君たちの記念碑はどこにある?――カリブ海の〈記憶の詩学〉|中村達
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 “もし、アーレントの思想において明らかなように、西洋が「記憶」というものを記録や文書、記念碑といった物が積み重なって構築できる直線的な時間の中でのみ受け入れるのであれば、すなわち人類の歴史を不可逆な川の流れとして認識するのであれば、カリブ海の人々は常に「非歴史性」を抱えた存在、そして永遠に「独自の歴史の記憶を、記憶に価する事蹟を持たない」他者という烙印を押されることになる。そのような「決定論的な歴史認識」は、「我々を、実に永久に、歴史の奴隷であり続けるように運命づけてしまう」。それゆえ、ボウはこのように力強く主張する。「もし歴史が『達成したこと』や目に見える記念碑の数々であるなら、我々は歴史を持たず、歴史の外側にいることになる[*26]」。”

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