“いつの時代であっても、危機的事態への直面は、わたしたちをして過去へと遡行させる。チッソや行政との闘いの過程で、あるいは、日本各地で「公害」が次々と問題とされるなかで、一九六〇年代終わりから七〇年代にかけて、人びとは足尾鉱毒事件と谷中村強制収容に遡行していた。それらの出来事も追尾してみるならば、田中正造の明治天皇への直訴のような人目につく時代的色合いをのぞけば、とても既視感なしに読むことができない。問題を最初にあきらかにした県知事を左遷し、被害があきらかになっても行政は動かず、業者と癒着というより一体化した政治家も動かず、御用学者は問題を矮小化し、農民たちの抗議はメディアによって犯罪視され、田中正造ら支援者の活動は社会主義者の扇動と非難され、警察によって激しい弾圧にさらされた。鉱毒除去のための施策はまやかしで、そのまやかしをもとにした示談契約書にはいやいやながらの補償金とひきかえに今後いっさい苦情を申し立てないとの項目があった。”

 
08.「しがみつく者たち」に──水俣・足尾銅山・福島から
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“それでも、ふつふつとわき起こる世論に対応するために行政は御用調査会をつくるが、そこで鉱毒問題を治水問題にすりかえ、住民たちを分断し、標的となった谷中村に貯水池をつくることで目先の隠蔽をはかるべく一村まるごとの買い上げをはかる。肥沃な土のもとで営々と農をいとなんできた村人たちは抵抗するが、カネの飛び交う激しい切り崩しのなかで、その団結は次々と突き崩され、たがいに憎み合うことになった。本質的になにが変わっているのか。二〇一二年のいま、「真の文明は、山を荒らさず、川を荒らさず、村を破らず、人を殺さざるべし」という田中正造の一喝以上に、わたしたちのおかれたこの状況の本質を射貫いている言葉はいまだないという事情がそれを裏づけている。”


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 “わたしたちは日本資本主義の発達史において、その軌道を猛烈な速度で通過する蒸気機関車の蹴散らした線路脇に積み上げられた一筋の主題があるのに気づくだろう。そこに浮上してくるのは、土に、海に、川に「しがみつく者たち」の光景である。谷中村において、札束と暴力による切り崩しにめげずとどまり、ついに強制収容で住居を破壊された残留十六軒であるが、そのあとの洪水のなかにあっても掘っ立て小屋に寝起きし土地にしがみつく最後の村民の姿は、かれらに寄り添い、移住地を探して奔走する田中正造にすら戦慄を与えた。”


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“また、水銀による汚染がわかっていても魚を食べつづける「栄華」と呼ばれたみずからの生業の歓びを手放さない漁民たちは、支援者にもとまどいを与えた。そして、ある人はまた、強制収容に抗して築かれた砦に「日本農民の名において収容をこばむ」と刻んだ三里塚の農民たちのことも想起するだろう。現在進行形で、原発建設をめぐって祝島の漁民たちは長いねばりづよい抵抗をつづけている。そしてなによりも、わたしたちはその現代史を強制収容の歴史として刻む沖縄を忘れてはならない。あげていけばそのリストは果てしないはずである。”


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