→あまり、こちらが勢いよく攻めれば、彼等は、心を閉じてしまい、なにか見事な一語で、もはや議論の余地はないという。といっても、それは、彼等が、説き伏せられるのをこわがっているからではない。ただ、自分が、滑稽に見えるか、あるいは、自分の困惑が、味方に引き入れようとしている第三者に、まずい効果を与えることを恐れているにすぎないのである。/以上のように反ユダヤ主義が、理論も経験も撥ねつけるからといって、その信念が固いという証拠にはならない。むしろ、なにもかも撥ねつけることに決めてしまったから、信念が固くなったのである」(安堂信也訳『ユダヤ人』岩波新書、一九五六年、一八―一九頁)。
『ユダヤ人』https://www.iwanami.co.jp/book/b267095.html