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章末の註にあるサルトル『ユダヤ人』からの抜粋が印象的だった。

──「彼等は、自分達の話が、軽率で、あやふやであることはよく承知している。彼等はその話をもてあそんでいるのである。言葉を真面目に使わなければならないのは、言葉を信じている相手の方で、彼等には、もてあそぶ『権利』があるのである。話をもてあそぶことを楽しんでさえいるのである。なぜなら、滑稽な理屈を並べることによって、話し相手の真面目な調子の信用を失墜出来るから。彼等は不誠実であることに、快感をさえ感じているのである。なぜなら、彼等にとって、問題は、正しい議論で相手を承服させることではなく、相手の気勢を挫いたり、とまどわせたりすることだからである。→

賢人と奴隷とバカ
01.現代日本の「反・反知性主義」?
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→あまり、こちらが勢いよく攻めれば、彼等は、心を閉じてしまい、なにか見事な一語で、もはや議論の余地はないという。といっても、それは、彼等が、説き伏せられるのをこわがっているからではない。ただ、自分が、滑稽に見えるか、あるいは、自分の困惑が、味方に引き入れようとしている第三者に、まずい効果を与えることを恐れているにすぎないのである。/以上のように反ユダヤ主義が、理論も経験も撥ねつけるからといって、その信念が固いという証拠にはならない。むしろ、なにもかも撥ねつけることに決めてしまったから、信念が固くなったのである」(安堂信也訳『ユダヤ人』岩波新書、一九五六年、一八―一九頁)。

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