朝鮮が作った米で日本の消費支える…帝国のフードシステムから見た経済史【レビュー】japan.hani.co.kr/arti/culture/

 “強制合併に続く土地調査事業が終わると、朝鮮で日本人の耕作地の所有面積が急増した。1932年になると日本人が朝鮮内の水田全体の16.1%を所有することになるが、そのうち88.8%が小作地であり、ほとんどの日本人が植民地の地主だった。 朝鮮総督府が推進した「産米増殖計画」により米穀生産が大きく増えた。生産された米穀のうち輸移出量は1912年には4.5%に過ぎなかったが、1921年には21.9%に増え、1936年には51.4%を記録するに至った。日本の1人当たりの年間米消費量が1930年代まで1.3石前後を保っていた一方、朝鮮の米消費量は併合の頃の0.9石ほどから、1930年代前半には0.5石前後にまで落ち続けた。”

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「日本人として、朝鮮を対象にした日本の犯罪を立証しなければと思った」
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 「日本はなぜ朝鮮を植民地支配したのでしょう。コメを収奪するためでした。植民地支配を開始した後、朝鮮総督府は朝鮮に日本式の農法を導入します。朝鮮の農民に安価なコメを生産するようにして、日本の国内物価を安定させ、食糧危機を乗り越えるのが基本的な考えでした。強制動員の労働者たちに、(工場や炭鉱などで)暴力を行使して働かせたと言われていますが、もっとひどいのは(植民地支配末期)コメを供出した時でした。警察の立会いの下、供出督励員と面書記が家を一軒一軒を回りながら隠したコメがあるかを捜索し、暴力を振るいました。農民たちは孤立していたから、組織的抵抗ができませんでした。生産したコメをすべて供出された朝鮮の農民に残った食べ物は、満州で生産した豆から油を搾った後に出た油粕でした」

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