https://digital.asahi.com/articles/ASS323PGSS2WULLI00F.html?ptoken=01HS0GTC1MMNQ9QPKFGJ6YRY38&s=09
【児玉】(前略)是枝さんが自分はマジョリティーだからクィアの立場で何かを代弁するのは傲慢(ごうまん)だと考えているのは分かりますが、その誠実さとしての一線を維持したまま、これは性的マイノリティーのあなたたちの物語なんだ、と言うことはできる。これまでマジョリティーを自認する作家たちはあまりにも、「あなたたちの物語」ではなく「みんなの物語」だと言い過ぎてきたように思います。
「クィア映画」を「普遍的な映画」と称することがなぜ危ういかというと、物語を彼らのもとから奪って、「普遍」とされる自分たちマジョリティーの枠組みに押しやってしまっているからです。