原爆を作った「オッペンハイマー」の苦悩は、被害者より優先されるべきなのか。倫理学者が抱く危機感https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_65e962aae4b026052a524bc3?s=09
“これまでアメリカが行ってきた1000回以上に及ぶ核実験などによる放射能被害、あるいはマンハッタン計画の拠点の一つだったロスアラモスで土地を奪われた先住民の人たちも、映画には登場しないのだ。”
「ロスアラモスは元々プエブロ系の先住民たちの居住地でしたが、国立研究所の設立に伴い土地を強制的に奪われました。今もその周辺に住んでいる人たちは、環境破壊や健康被害を連綿と受け続けています。ですが、そういった歴史は、映画をはじめロスアラモス歴史博物館にさえ展示されていません。
なぜオッペンハイマーの苦しみは、これらの人々の苦しみよりも優先されるのでしょうか。そこに疑問を持たず、受容する社会通念とは何なのか。それを考えた先に、核兵器のない世界が実現されるのだと思います」
「被害者はいつヒューマナイズされるのか」日本兵のPTSDについて書かれた文章を読んでいると、そういう感覚を持つ時がある。被害を受けた人々が語りの一要素として背景になっているような。