死の欲動も色々解釈があるが、へたれラカニアンとしては部分欲動だと言わねばならない気はしている。なにがなんでも居座るので主体を死まで追いやる奴。それ自体としては死にも生にも関係ない(個体の自己保存という目的と独立なので死、という理路)
んー、「母のファルスの欠如に同一化する」も解釈が難しく、というか難しすぎるので快楽原則100%で涅槃まで行く主体とするが、
・母のファルスはあり涅槃まで行ってる主体もいるが俺ではない(=きょうだい複合的なもの。神経症水準ではやや倒錯的。精神病水準ではパラノイア)
・母のファルスになれば涅槃まで行けるがそれは父に禁止されている(強迫神経症)
・逆手に取って母のファルスに対してそれなりに悪くないポジョンにいるふりをする(ヒステリー)
・そも母のファルスがあり得ない(スキゾ的? あるいは現勢神経症や発達障害圏とかであるかも)
・私は母のファルスである(自閉症)
……という感じで色々な主体のタイプごとに記述できそうではある
けっきょく「ファルスっぽさ」は快楽原則だけで生きれてる感じ、と言い換えられる。人生楽しいです、やりたいことやってます、みたいな奴。それがファルスではなかろうか