大学院ゼミで、渡辺浩先生の『明治革命・性・文明』(東京大学出版会、2021)をじっくり通読した。渡辺先生の議論は大変面白く読めたのだが、一番印象に残った部分として、岩倉使節団の面々の「宗教観」の問題がある(第八章「「教」と陰謀―国体の一起源」)。簡単に言うと、欧米の視察で彼らは「文明国でこんなに宗教が重要視されているとは思わなかった。俺たちなんて、ろくな信心もなく、宗教なんて単なる支配の道具だと思っていたのに」という驚きを表明しているのだ。彼らはそのまま「人心収攬のための新宗教」たる「国家神道(国体論)」を構築していくわけだが、その末裔たる現在の日本も、基本的に宗教をある意味なめきっていて、「タダで選挙活動のボランティアしてくれるなら」などというようなことをするから、つけ込まれて、こういうていたらくになってしまったのだなあ、と得心した。やはり歴史は断絶していない。にしても、「親分」が殺されたって言うのに、本当に動きが鈍かったですよね、元首相の取り巻きの皆さん。他人事ながら「何やってんの」と思っていました。