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「何が彼の者を狂わせたか」 #ノート小説部3日執筆 お題:マッドサイエンティスト #七神剣の森 スピンオフ :seibun_hyouji:男女CP、死にまつわる表現 

「……君が俺とずっと生きてくれるなら、何でも良かったんだ」
 貴方は最期までそう泣き言を漏らしていましたね。
 だからこそ、私は強い妻のままで在れたのかもしれません。
「次の伴侶を見つけて、人間として、幸せになって下さい。それが私の望みです。」
「俺と一緒に人間を捨ててはくれないと……?」
「たまには私の我儘を聞いて下さいな」
「だって君は……今まで全然我儘なんか……」
「ええ、だからこれが、とっておきの。」
 私の皺だらけになった震える手が、貴方の滑らかに長い白髪の中に埋もれてゆきます。長持ちした方だと思いますよ。私は神様のご加護なんて何もない、ただの普通の人間なのですから。
「……俺は君がいなくなったら、人間じゃなくなってしまうと思うよ」
「それも、駄目。私が愛した貴方のままでいて下さい」
「難しいことを、言うなぁ……」
 ほら、貴方はそうやって涙を流せる。貴方の異能とも呼べる才覚は確かに神様から頂いたものかもしれませんが、やっぱり貴方が本質的に人間だからこそ、私達は貴方を愛し、貴方についていこうと思ったのです。

 小さな研究所から始まったこの一帯は、見違える程美しい街になりましたね。
 最初は寝食すら覚束なかった「上司」と対面した時、私はあまりに自分を蔑ろにする貴方に怒りを抱いたのを覚えています。まさかあの時点で貴方が成人した私の四倍も生きていたなんて、そんな人生経験があるような人には全く見えませんでした。
 ただひたすら、物を作っては壊す人。
 時たま成果を挙げては、自分に逆らう部下に全部やって追い出してしまう人。
 貴方の実態が掴めてくる頃には、私はすっかり自分の研究なんか諦めていました。だって貴方の思考は荒唐無稽で、凡人の私達は手足にしかならなくて、上手くいったと一緒に喜ぼうとしたら、これでアイツを厄介払いできるな、と悪い笑みを浮かべるんですから。
 貴方は自分が表に出たくなくてそんな子供じみたことをしていたのでしょうが、私が直下についてからはそうもいかなくなったでしょう?
 あれ、実は私が研究員を選ぶようになったからだったんですよ。
 貴方の本当の功績をこっそり広めて、貴方を支えたいという若い研究員が集まるようにしたんです。
 論文も皆貴方との連名でしか出さなくなって、カミナという何やら凄い男が電技研にいるらしいと噂になって、ようやく貴方が表舞台に……
 ……立ちませんでしたけど。
 仕方ないです。その頃には私も貴方に惚れていましたから。代役くらい、任されましたとも。味を占めた貴方が軽率なことを言ったのも、その時でしたね。
「カミナ・カミナリノは俺とナナ君の二人で一人ということにしよう。これからも、俺が出した成果を君が発表するんだ」
「あら、それってプロポーズですの?」
「えっ……?」
 ふふ、あの時の貴方の顔ったら! 普段の涼しげな表情が吹き飛んで、耳まで真っ赤になって。
「ナナ君は……知っているだろう。俺は不老の呪いを受けた人間だ。君のような素晴らしい女性を俺に縛り付けるのは……」
「では、この先は、お独りで?」
「……構わない、のか」
「貴方らしくもない、今更の愚問です」
「……そうだったのか……」
 貴方はそう言いながらおずおずと、私に口付けをしようとして、カチャ、と乾いた音が鳴って。
「……次は眼鏡を不要にする研究にしよう」
「インプラントですか? 当研究所としては新しい試みですわね」
 私達は照れ隠しのように真面目に頷き合ってその場を流してしまいましたが、バッチリと若手に見られていて、後の懇親会で退路を断たれたんでしたっけね。

 貴方のお陰で退屈しない素敵な人生でした。
 子供達も好きな様に生きていますし、私達の第一の子供のような電技研も、今や街の名前を貰えるほど大きくなりました。
 私が体調を崩して一線から引いた後は、貴方も立派な所長として振舞ってくれていますし、もう何も思い残すことは無いんです。
 貴方の不老の呪いは、神様の祝福。
 貴方の類稀なる頭脳を永久に劣化させず、それどころか深化させてゆく奇跡。
 私の代わりに、これからはこの街トニトルスが、そして生まれくる新たな命達が、貴方を支え見守り続けるでしょう。
 だから、ねえ、貴方。
 いつまでも、私の愛した人間のカミナでいて下さいね。
 千年でも、二千年でも、貴方が人の為に在ろうとする限り。
 トニトルスは、私達の子らは、貴方の味方です。

 ああ、嫌だわ。
 貴方はそうやって私の為に泣いてくれるのに。
 私の涙、ちっとも流れないわ……。
 狂っていたのは私の方、だったのかもしれません、ね……。

#ノート小説部3日執筆 「:kasei_samonn:の謎を解く気などなかった」 お題:鮭 

現在の火星に天然の水資源はほぼ存在しない。
高緯度地域に行けばドライアイスと氷の混合体を観測できるが例外なく固体であり、液体の水は海はおろか川の一筋すら発見されていないのが現状である。
よって人々が生きるために必要な水は、ターミナルと呼ばれる開拓済み地域で工業的に生産され各家庭や施設に配水されてはいるが、いずれも地下に張り巡らされた配管内を流れるのみで、川や海といった形にはなっていない。
よって火星に水産物の類はないものと思われがちだが──何故か鮭はあるらしい。
「火星サーモン」と呼ばれるそれは、開拓済みエリアが増え始めた頃に綺羅星のごとく登場し、以降、火星住民の食卓にしばしば上がるようになっていた。
しかしその火星サーモンがどこかに造成された人工池で完全養殖されているのか、それとも合成蛋白を出力できる3Dプリンタのようなもので最初から切り身の形で生成されているのか、実は誰も知らないのである。
その得体の知れなさ故に忌避する者もそれなりにいる火星サーモンだが、水産物の生食を好むことで有名な日本人移民たちにはたいそう好まれていた。
何しろ火星サーモンには寄生虫がいないのである。冷凍や加熱の手間なく新鮮な物を安全に美味しく生食できるメリットの前では、出自など天秤にかけるまでもないというわけだった。

「そういやこのサンドイッチに入ってるスモークサーモンも火星サーモン使ってるんですっけ?」
音希はTea room & Gallery Marikaにアクセサリーを納品して売上を受け取ったついでに、いつも通りその売上でアフタヌーンティーを注文して作業後の空腹を満たしていた。
このために納品を頑張っていると言っても過言ではない、音希のささやかな楽しみである。
店長のウルリッヒが自ら作るスイーツや料理はとにかく絶品なのだ。
「ええ。いつでも質のいい切り身が手に入るので、自分で好きなように燻製できるのが魅力ですね」
そう自慢げに答えるウルリッヒもまた、火星サーモンに抵抗がない日系人である。
地球から時間をかけて輸入されるスモークサーモンを使うくらいなら火星サーモンのスモークを使うだろうとは思っていたが、まさか手ずから燻製までしていたとは、さすがの音希も想定外だった。
「えっ、じゃあこのスモークサーモン、ウルリッヒさんのお手製なんですか」
「意外と簡単ですよ、冷燻。火星は気候も冷涼なので実に冷燻しやすくて良いですね」
ウルリッヒいわく、燻製と一口で言っても、高温の煙で素材に火を通しつつ燻香をつける温燻と、素材に火を通してしまわないように低温の煙で燻香をつける冷燻の二種類があって、ウインナーやベーコンは前者、スモークサーモンは後者らしい。
確かにスモークサーモンは「スモーク」と言う割には外側に火が通った層のようなものもないし、水分が抜けて凝縮された刺身のようだとは思っていたが、燻製の仕方がそもそも違っているなど思いもよらなかった。調理というのは奥深いものである。
「ウッドチップもいろいろ試しましてね、最初は地球から輸入したものを使っていたんですが、やはり火星の木の方が火星サーモンには合うようでして」
そう語るウルリッヒは実に楽しそうである。
火星人の中でも一二を争うくらい、この人は火星の食材を楽しんでいるのではないかと音希は思ったのだった。

謎多き火星サーモン。
切り身になって売られている姿以外、一般の火星人は見たことがない。
独自の生態系が構築されている火星なので、案外切り身の姿で水槽を泳いでいる……なんてこともあるのかもしれない。
けれど確実に言えるのは、この火星サーモンにもれっきとした生産者がいるということである。それが何者なのかは知らないが。
ならば、その生産者に敬意と感謝を表しながら頂くのが筋というものだろう。
「いただきます」と。

おわり

#ノート小説部3日執筆 「あり得ない記憶─あいつが下手で上手がオレで─」 お題:漫才※前回分 #モノクローム・アカシックレコード 

<番外編:3>
ステージ上には1本の
集音用魔術具(サンパチマイク)
それをめがけて、ダナスは上手から、ノワは下手から駆け寄っていく。
「どうも、ダナス・アカティークで〜す」
「どうも、ダナス・ノワでーす」
「「二人合わせて『ダナス』です、名前だけでも覚えて帰ってってくださーい」」
そこまでは定番の挨拶。
この後は事前に打ち合わせた通りのネタをかけていくが……それが本来のシナリオ通りに展開するかどうかはノワ次第である。
まずはノワが口火を切る。
「そういや名前といえばだよ」
今日かけるのは、定番の名前ネタだ。
「……何か不満でも?」
不満を持っているのは自分の方だとばかりにダナスがそれに応じる。
「オレがノワ(黒)なのにお前がアカティークなのはおかしくね? そこはお前はブラン(白)とか名乗るべきじゃね?」
「いや何でだよ。オレのは家名なの! 区別つけるために便宜上名乗ってるお前の仮名と一緒にしないでくれる?」
「あっはっは、それ
家名(かめい)と仮名(かめい)かけてる? お前にしちゃ面白いこと言うねぇ!」
ノワはダナスの言い分に対して斜め上方向の受け取り方をすると、わざとらしく腕組みしてジト目で睨みつけるダナスの背をバシバシと叩いて笑う。
この『ダナス』、一見天然ボケそうに見えるダナスの方がツッコミで、ノワが一応ボケなのだ。
「……かけてない! そもそもオレはお前がダナスを名乗るの自体不本意なんだからな」
「出た、不仲芸」
大げさに指をさしてノワが茶化す。……これはネタにはない、ノワのアドリブだ。
「『オレたちいつも喧嘩腰でネタやってるけど、本当は仲良しなんですよ〜』……って、んなわけあるかっ! オレとお前が仲良しとか想像しただけで鳥肌立つね」
「まぁまぁそう言わず、仲良くシようぜぇ?」
ダナスはそれをとりあえずノリツッコミで躱すも、ついつい本音をポロリと零してしまう。
するとそれをカバーしようとするかのようにノワが肩を抱き寄せてアドリブを続けてくるが、あまりにもいつも通りな絡み方だったのでむしろダナスには逆効果であった。
ダナスは肩に這い寄る手を一閃して払い除け、眼鏡を掛け替えると本気モードに入る。
「……やるなら受けて立つが?」
絶対零度の声音で宣戦布告すれば、いつもならノワもそれに応じて喧嘩もとい戦闘に突入するのだが、この時のノワは普段と異なる反応を見せた。
「ヤるならウケてくれるって? お前からそんなお誘いしてくれるなんて嬉しいねぇ!」
喜色満面で言い放つと、何とおもむろにボトムを脱ごうとし始めたのである。
「ま、待て、どうしてそうなる?!」
そんなまるですれ違い漫才じゃあるまいし……と思ったところで、ダナスはようやくネタの最中であることを思い出した。アドリブにアドリブを重ねたせいで、最早本筋は遥か彼方にいってしまったが。
「どうしてって、オレとヤる気になってくれたんだろ?」
きっとノワも本筋に戻れないことを察して、今回は下ネタオチということで収拾をつけようとボケを重ねてくれているのだろう。そう思いたい。
「……そっちの『ヤる』じゃない! もうええわ!」
ダナスはバシッと手の甲でノワにツッコミを入れて、お約束の締める合図を口にする。
これ以上続ければ劇場を出禁になってしまうので、ここで強制終了するしかないのだ。
そしてふたりは声を揃えて締めの挨拶をした。
「「どうも、ありがとうございました〜」」
……
…………
………………
「?!!」
ダナスはがばりと跳ね起きた。
反射で枕元の眼鏡に手を伸ばし、視界をクリアにして周囲を見回すも、そこは場末の劇場ではなくダナスの家で、もちろんステージ上ではなくベッドの上で、ただしその右隣にはいつの間に潜り込んだのかノワがすやすやと眠っていた。
「……って、何でだよ!」
思わず言葉と同時に足でもツッコミを入れて、ダナスはノワをベッドから蹴落とした。
そもそも一人暮らししか想定していないダナスの家に、ノワ用のベッドを入れるスペースなどなかったのだが、わざわざカウチをソファベッドに買い替えてノワ用の寝床を確保してやったのである。
それもこれもシングルベッドで男ふたり同衾したくないがためだったのに、このようにベッドに潜り込まれては何のための出費だったのかわからないではないか。
「おまけに人の夢の中で分かりづらいボケばっかりして!」
……その分かりづらいボケはノワと同様にダナスの無意識下から生まれたものなのだが、その事実からは意図的に意識を逸らしてすべてノワのせいということにしておく。
ノワがベッドに潜り込まなければきっとあんな夢は見なかったに違いないのだから。
本当に、あり得ないにも程がある。
「……痛ってぇ……。……何なのお前急に、もしかして『あの日』かぁ?」
「ん な わ け な い だ ろ !」
やめてくれ。そんなボケされたらマジで悪夢の続きじゃないか。
ダナスは発する一音一音にそんな言葉にならない叫びを込めたのだが、果たしてその悲痛な思いはノワに届いたのか否か。
それを確認することすら拒否して、ダナスはノワに入りこまれないよう毛布を身にしっかりと巻き付けて背を向けて二度寝を決め込んだのだった。

もちろん漫才コンビ『ダナス』は夢の中のあり得ない存在に過ぎなかったわけだが、しばらくダナスの中で劇場や漫才がトラウマになったのは言うまでもない。

おわり

#ノート小説部3日執筆 お題:鮭 「偏食」 

***

 鮭を嫌いな人間というのは、日本人だとあまり多くないのではないだろうか。

 新巻鮭、ちゃんちゃん焼き、サーモンカツ、西京漬けにした鮭、サーモンのクリームーパスタ……煮て良し焼いて良し揚げて良し、和洋中どんな料理にも合う。
 特に寿司ネタの鮭……サーモンは子供から大人にも大人気だ。
 とはいっても寿司のネタになっているサーモンは厳密には鮭ではなく、トラウトサーモン、つまりはニジマスだ。
 まぁ、ニジマスもサケ科の魚なので親戚と言ったところだろうか。

 以上、閑話休題。

 そして私も例に漏れず鮭、サーモンが大好物だ。
 特にサーモンのクリームパスタやお寿司のサーモン系は大好きで、パスタ屋さんやお寿司屋さんでサーモン系メニューがあれば必ず頼むほど。
 しかし子供の頃は魚の身が赤いという事に、何故だか怖さを覚えていてなかなか口に出来なかった。
 当然サーモンが食べられないなら、マグロやカツオも食べられない。
 お寿司屋さんへ行けば、白身のお魚か光ものと言われるサバやアジ、後は玉子やコーン巻きなど身が赤くない魚を良く食べていた。
 赤い色がダメならお肉はどうかというと……これまた食べられない。
 でも鶏肉は辛うじてピンク色なので食べられる。火が通れば白に近い色へと変わるのも食べられる理由なんだろう。
 自分でも判断基準が分からないのだけど、何故だか物心ついた頃から全部が赤い色の食べ物は怖くて食べられなかった。
 野菜だとトマトがそれだ。
 トマトは中身も良くない。あのぐじゅっとしたゼリー状のものと種が混ざったあの中身は、どういう訳かとてつもない恐怖と嫌悪感を私に催す。
 そんな風に、私は赤い色がほとんどを占める食べ物は食べられない。

 それがサーモンはいつしか食べられるようになった。
 多分、あの身の色は赤じゃなくてサーモピンクだって気が付いたからかもしれない。

 この妙な偏食は、当然親にも理解されなかったし、友達や学校の先生などにも理解されなかった。
 今どきは給食で食べられない食品があっても休憩時間を潰してまで食べなければいけない、という事はなかったけど、それでもかなり私が赤い食べ物を食べない事に先生は渋面をしていた。
 ちなみに子供に大人気のミートパスタも私は食べられなかったので、赤い色の給食が出る日は特例でアレルギーの子たちと同じように弁当持参が許されていた。
 それというのも、三年生の時に赤い食べ物を無理矢理食べらされ、まるでシンガポールのマーライオンの様に食べた物、飲んだもの、そして胃液の混ざった噴水を盛大に噴き上げたからだ。
 いやぁ、あの時の事は私自身今でも鮮明に覚えていて、凄い勢いでリバースしている自分が、苦しいけどなんだかやけに面白かった。
 でも吐き終わった後、酷く辛かったのも覚えている。
 そんな事があってから、基本小学校の間は弁当持参で通い、中学校でも肉と赤身の魚が出る時は勝手に弁当を持参して皆が給食を美味しそうに食べている中ひとり弁当を食べる変な子供だったので、あまり友達は出来なかった。
 それが変わったのは高校に入ってからだ。
 高校には給食はなく、弁当持参か学食で好きな物を食べて良かった。
 だから高校時代の主食は主にうどん。わかめうどん、てんぷらうどん、カレーうどん。
 そんな生活を送り、私が中身まで赤い食べ物が食べられない、という事をほとんど友達は知られないまま高校を卒業し、大学生になり、その頃付き合った人に自分が赤い色の食べ物が食べられない事を伝えたのだ。すると、鮭の色はサーモンピンクだから大丈夫、と言われて目からうろこだった。
 単純なもので、付き合っている人にそう言われてみて、私はデパートで買ってきたサーモンのお寿司を恐る恐る口へと運んだのだ。
 その時の事も自分がマーライオンになった時と同じく鮮明に今でも覚えている。
 今まで忌避していたその食べ物は、この世のものとは思えない程美味しかった。
 こんなにも美味しいものを私は今の今まで赤い色だと思って口にしてこなかったとは……なんという人生の損失だ!!! と当時心底思ったものだ。
 出来る事なら巨大化して口からビームを出しつつ、叫びたかった。
「うーーまーーいーーぞーーー!!!」
 と。
 そして、色への認識が変われば私はあの頃の様にマーライオンにはならないのだと、その時初めて知った。
 その日から私は鮭とサーモンの虜となった。
 今まで食べなかったのを補うかのように、埋め合わせるかのように、お寿司屋さんに行けばサーモン、炙りサーモン、トロサーモン、とサーモン尽くしとなり、パスタ屋さんでサーモンのクリームスープパスタを発見した時にはこれまた天にも昇る程美味しいという幸せを噛み締めたものだ。

 そんなわけで今ではすっかり鮭とサーモンの虜となっているけど、相変わらず赤いお肉は食べられないし、マグロやカツオは苦手だ。
 恋人もその事を不思議がっているし、幾度となくマーライオンにならない程度で少しずつ食べて耐性をつけようとはしているのだけど、全然ダメ。
 ほんのちょっとでも吐き気が込み上げてきて、食べられなかった。
 恋人と同じ物が食べたい、と思うもののどうしても体が受け付けてくれなくて、同棲中の我が家の食卓は赤身の肉や魚が出る事はなかった。それと、トマトも。
 その事に罪悪感がありいつも恋人には自分に合わせず食べたいものを食べていい、と伝えているけど、恋人も私同様こういう事には頑固で、私と同じ物を食べるのが幸せだと言って聞かない。
 それを言うなら、私だって恋人と同じ物を食べたいと思っている。
 そんな私の気持ちは汲んでくれないから、本当に頑固だ。
 だけど、いつか私が赤い色の食べ物を、鮭と同じように色の意識を変えて食べられるようになったら、その時こそ恋人と同じ食べ物を食べられるようになるのだから、赤い色への克服、頑張らないと、と思う。
 そう思いながら今夜の夕飯のサーモンのシチューを作る。
 他にもサーモンのカルパッチョに、サーモンカツと今夜も豪勢にサーモンパーティだ。

 いつか牛肉が食べられるようになったら、その時は牛肉でパーティがしたいな、と思いながら今夜も私は恋人と共に鮭の料理に舌鼓を打つ。

#ノート小説部3日執筆 『なんてったって北の国。自然も食事も……えっ無いんですか!?』 

前略。ここは北のある街。そこを流れる、ある河。
「寒ァァァっっっみ!!!」
車を河川敷に停め、降り立った開口一番がこれだ。あまりにも寒い。息が白いどころか、鼻先で凍って氷柱になるくらいだ。もう日はそれなりの高さのはずだが。
とりあえず、目標地点まで歩こう。一歩進むごとに、キンキンに冷えた空気に顔を突っ込む羽目になる。さすがは冬の北国。これでも十分に準備したはずだが、足りなかったみたいだ。

それなりに歩くと、人影があった。ただ、近付いていくごとに、それがニンゲンではないのが見えてきた。
近年増えているアノマ……なんちゃらとかいう半人半獣の一種だろう。人間の形をしているが、大きな魚の尻尾がびちびちしている。その尻尾までふわもこの服に身を包んでいるのは、僕たちニンゲンと変わらないらしい。

とりあえず、そいつに声をかけてみる。
「やあキミ。写真を撮りに来たんだけど、良い場所はない?」
サークル活動の一環だ。別に、ただの観光日誌でもいいのだが、こんなに遠い所まで来たのだから、自然の絶景を網膜とフィルムに焼き付けておきたいじゃないか。

そいつはキョトン顔で虚空を見上げた。しもやけだろうか、頬が赤くカサついている。

まあ会話は期待していない。ニンゲンが動物と話すなんて、無理なことだ。半獣が人工的に作れるようになって実現性が上がっただけで、ファンタジーには変わりない。
「シャシン?……よくわかんないけど〜、この河の上には良い岩場があるよ〜」
会話はある程度できるみたいだ。良かった。
「ありがとう。それじゃあね」
そいつに礼を伝えて、上流へと向かおう。
魚目線で見て、良いだけかもしれないが、行く価値はある。

――
かなり上流まで来た。慣れたのか、日が昇ったからなのか、寒さはだいぶマシになってきた。
たしかに、岩場の多いスポットだ。河の流れが白く尾を引いて、さらさらじゃぷじゃぷ音を立てている。

良さげな場所で立ち止まって、カメラを構えて、じっと河を見つめる。ファインダーの先に見える河は、ただただ流れているだけだ。
水音と、時々強く吹く風の音くらいしかない。自分由来のもの以外、雑音はほとんどないと言っていい。

一瞬、下流の方でなにか違う音がした。水音ではあるが、水流由来の音ではない。何かが泳いでくるような。
シャッターボタンを半押しにして、岩場にピントを向ける。
そろそろ、やってくる。

一匹の鮭が、水面から飛んだ。
決して高くはないが、岩場を超えて、また悠々と去っていく。

カメラのボタンから指を離し、画面を見る。
斜め上を向いた鮭が、岩の隙間を飛んでいく場面だ。カメラを始めて数ヶ月の初心者にしては、上手く撮れたんじゃないか。

「あ〜、さっきのニンゲン。ボクのお友達見なかった〜?」
先ほど岩場を教えてくれた魚人だ。よく見たら、こんなに寒いのに、サンダルを履いている。この土地で育ったからだろうか。強い。
「ともだち……かは分からないけど、さっき鮭が岩場を登っていったよ」
先ほど世話になったから、こちらもちゃんと教えてあげるべきだ。
「そーなんだね〜。捕まえたり、してない?」
「しませんよ。捕るのは目的じゃないので」
“撮り”はした。……と言いたくなったが、このギャグを口頭で言うのは、こんがらがるので止めた。

「そーなの〜?ありがとー。それじゃあね〜」
そいつはこちらに手を振って、もっと上流へと歩いていった。手は頬より赤くなっていた。肌荒れだろうか。

ふと時計を見ると、もう昼過ぎだ。
そろそろ車に戻ろう。昼飯は、気になっていたラーメン屋にでも行ってみようかな。

――
車の中は冷えているが、風が吹かない分だいぶ暖かい。
エンジンをかけ、カーナビをつけて、ナビに件のラーメン屋を入力する。

「おい、お前さん。ちょっとええか?」
……なんかゴツい人から窓を叩かれた。怖いので応対する。
「この辺で鮭……あー、鮭みてぇな女、見んかったか?」
鮭みたいな女?誰だそれ。すっごいしゃくれアゴってことか?
「いや〜、見てないですね。すみません」
少なくとも、そんな人相悪い存在には会ってない。
一応人型生物には会ったが、あの魚人を『鮭みたいな女』とは言わないだろう。

「ほぅか。悪ぃかったな。じゃな」
ゴツい人はそのままどこかへ行ってしまった。

……やはり外の街は怖すぎる。先輩があれだけ言ってたのも理解できてしまう。
ただ、絶景には出会えなかっただろうから、そういう意味では正解だっただろう。

「あ〜〜!!ラーメン食いてぇ!」
叫びながら、ちゃんとシートベルトを締める。
今はラーメンの気分だ。本島でも有名な、魚介バリマシ鮭ラーメン。食いてぇ。
せめて事故らないように、アクセルを緩めに入れる。

大丈夫。法定速度を遵守してトバしていけば、昼過ぎには着くはずだ。

――
やっとたどり着いた。もう昼過ぎというか、おやつの時間だ。
あれだけ人気と騒がれていたのに、店の前には誰も並んでいない。どころか、入り口には張り紙が貼ってあった。
『本日、臨時休業とさせていただきます』
……、そういう日もある。

しょぼしょぼと店の前から帰ろうとしたところ、先ほど鮭女を探していたゴツい人が、誰かと話しているのが見えた。
「あンの鮭ェ!マジでどこいった!?」
「どうしますおやっさん。あのガキからダシが取れないんじゃあウチの店……」

とりあえず、離れよう。
その地で何も起こさないように。何も持ち込まないように。巻き込まれないように。
それが本島を離れるときの、住民たちの最重要ルールだ。

少なくともあの魚人と会った時点で、巻き込まれてはいるが。それでも、自ら首を突っ込む必要は無い。
たまたま自分のそばで問題が起こっていただけで、自分は関与していない。そのはずだ。
そのはずなんだ。なんだけどな。

「……もっかい行ってみるか」
先ほどの河へと、車を飛ばす。
あー、ホテルに連絡するのは、向かいながらでいいかな。
どうせ長く運転するし。

#ノート小説部3日執筆 お題『鮭』 『サケの味』 

子供の頃、魚が嫌いだった。生臭いし、何より骨が邪魔過ぎた。お肉のように一口でガブッと行こうものなら、何度も口の中に手を突っ込む羽目になる。そうしなければ、呑み込んだ時に骨が刺さる。身体の中から痛みが走った時の絶望と焦燥は、幼い心にトラウマを残すには充分過ぎた。
 しかし、そんな子供時分にも、鮭だけはまだ許せた。骨が大きくて取りやすかったからだ。そしてうちの場合、生臭さとも無縁だった。何しろご飯が無ければ食えたものじゃない程、塩辛かったからだ。表面に塩が吹く程塩分まみれのそれは、小さな一切れでお茶碗一杯が空になったものだ。
 故に、私にとって鮭と言えば、塩辛いものだった。あの味は、大人になって鮭の本当の味を知っても尚、思い出さずにいられない。焼いた鮭を見た瞬間、白米が欲しくなる程に。
 だからこそ、今日はそれを徹底的に上書きしたいと思う。





 私が訪れたのは、大阪市内の居酒屋。安価だが質の良い魚介が楽しめるそこは、以前から興味のあった店だった。
良質な飲み屋が立ち並ぶ通りにありながら、狭い店内は客で埋め尽くされている。これこそ興味を持ちながらも入れなかった理由で、六時前にはもう満席になってしまうのだ。今日入れたのは、本当に幸運な事だった。
紙のメニューを手に取ると、並べられた心の躍る数々の文字に目を通していく。秋刀魚の塩焼き、エイヒレ、鯨の刺身――コイツらはまた今度だ。
私が頼んだのは――まずは鮭の塩焼き。そして、『獺祭――磨き二割三分――』。日本酒である。
鮭の塩焼きと聞いて白米を頼まなかった事で、まず第一関門は突破した。これから味わうのは、あの塩まみれの白い鮭ではないのだ。
そうして配膳された鮭は、鮭特有の赤みがかった色をしていた。いや、ある意味では白いと言っていいかもしれない。何しろ、脂のノリが凄まじかった。鮭の脂と言えばハラスだが、それにも負けていない脂の量だ。この脂こそが主役であり、塩はそれを引き立てる役割に過ぎないのだろう。
傍らになみなみと注がれた獺祭を置き、箸で一口分の身を取り出す。ふわりと白い湯気が立ちこめ、紅色の身を彩った。顔の近くまで持ち上げると、表面がキラキラと光っているのが分かった。
いざ口内に招き入れると――まず感じたのは、蕩けるような甘みだった。見ただけで分かる程乗りに乗った脂の破壊力は、想像以上だった。そして脂の勢いが落ち着いた辺りで顔を出す、鮭特有の旨み。こればかりは鮭でしか味わえない、古来より食材として愛されてきた理由だろう。子供の頃は知らなかった鮭本来の味が、ここにある。
柔らかな身を呑み込んだ後も、口内には脂が残り続けている。それを洗い流す為に、これがある。日本酒、獺祭。米を丁寧に磨き、醸造して造られたそれは、ザ・日本酒とも言える王道の味だ。舌に触れた瞬間、果実のような甘い香りが広がり、同時に焼けるような刺激が通り抜けていった。脂の味と日本酒の香りが混ざり合って、口内から流れていった。
同じ米で出来ているからか、魚介の日本酒との相性は、白米とのそれにも劣らない。思わず「っあ~~」という、おっさんのような声が漏れた。そのまま無言で、鮭の身と獺祭を交互に口にし続けた。これだけ良質な魚ならば、骨を取る作業など苦労のうちに入らない。
半分ほど身を食べたところで、焼き鮭のもう一つのお楽しみに手を付ける。そう、皮である。焦げる一歩手前まで焼かれたそれは水分が完璧に飛んでいて、箸で触れただけで分かるカリカリ度合いだ。真ん中の部分を持ち、重力で半分に折れ曲がったのを見てから――思い切って一口で頂く。口内に響き渡るカリッという快音と共に、身とは全く異なる食感が返ってきた。
この絶妙な食感で確信した。この鮭が美味いのは、偏に食材の功績だけじゃない。調理する人間の技術が伴っているから、これだけの美味さを誇るのだ、と。いつ言っても満席なのも当然だ。
恐ろしいのは、今口にしている焼き鮭と日本酒のセットで、お値段は千円と少し。大阪市内という都会にあって、これは途轍もなく安い。この後相場レベルの値段の店に行っても『高い』と思ってしまうだろう。
ひとしきりカリカリ食感を堪能しきると、すかさず獺祭を流し込む。こうすることで、皮の生臭さを一気に打ち消せるのだ。
さて、焼き鮭を食べ切ってしまったが、鮭一切れで終わる程慎ましい呑み方をするつもりはない。私は追加でサーモンの刺身とホイル焼きを注文した。そして間違いなく日本酒が足りなくなるので、そちらも追加した。
アルミホイルの中で蒸し焼きにされ、ふっくらと焼き上がった鮭は、焼き鮭とは異なる顔を持つ。卓上の醤油を数滴垂らし、一緒に蒸された野菜と共に口に入れた。水分を保ったままの身は、豊かな噛み心地という焼き鮭にない特長を備えていた。同時に蒸された野菜もまた、甘さとシャキシャキ食感で鮭を引き立ててくれる。日本酒を追加したのは正解だった。
サーモンの刺身は、王道を外さずわさびと醤油で。火を通した前二品とは異なる生の鮭。柔らかな身とねっとりとした甘さは、寿司ネタとして不動のトップ層を張るに足るものだ。しかし、今日のコイツの相棒は酢飯ではない。同じ米でも、大人向けな方だ。
そのまま私はひとしきり鮭と酒を楽しんだ。日本酒を二合も吞めば、流石に頭がボーッとしてくる。締めに頼むものは、もう決めてある。
締めの一品は、鮭茶漬けだ。最初にメニューを見た時点で、最後はこれにしようと思っていた。
あれだけ酒の肴にしておいて何だが、やはりご飯の事を忘れる事は出来なかったようだ。
鰹と昆布の旨味が効いた出汁と共に、鮭とご飯をかき込む。口の中で幾つもの味と旨味が混ざり合い、それでいて優しい味だ。酒を流し込まれた喉と胃によく沁みる。
結構な量を食べていた筈だったが、鮭茶漬けは別腹とばかりにするすると胃に吸い込まれていった。米粒一つ残さず食べ切り、会計を済ませて店を出た。
外はすっかり冬の空気で、アルコールで火照った身体がどんどん冷えていくのを感じた。
身体は寒気を訴えて震えるが、不快感はない。『サケ』の余韻に浸りながら、私は寒空の下をゆっくり歩いて帰った。

#ノート小説部3日執筆 お題:漫才 「夢と現実の岐路に立つ」  

「はいっ! どうもありがとうございましたぁ~!」
 パチパチパチ……。漫才を披露した後、自ら拍手をしつつ下手へ下がっていくことで観客にもう一押しの拍手を促す。
 口角を上げ、笑顔を作り、愛嬌を振りまく。
 そして舞台の袖へとはけた後、ひとつ大きく息を吐いた。
「今日、あんまウケへんかったなぁ」
 相方がそう落ち込んだような声で言うのを聞きながら、舞台袖に置いてある自分の荷物からペットボトルを取り出し中身を飲む。緊張でカラカラになった喉へ水分が染み込む様に流れ込み、そこを潤していった。
「……そら、あんなトチっとったら客も冷めるわ」
 そして一息ついた後そう相方の失敗を咎める様に言うと、隣でぐっと声を詰まらす気配がして目の端に握り締めた拳が見えた。
「そ、それはそう、やけど……」
「いくらネタがよぉても、それを上手く活かせへんかったら客は冷める。よぉ分かっとるやろ」
「……っ」
 今度は本気で大きな溜息を吐き、苛立ちを表す様に前髪を掻き上げた。
 目の端で握り締めている拳がぶるぶると震えているのが見えて、その事にももう一度溜息を吐く。
「今度の大会どないするんや。このままやと予選も突破でけんで」
「わかっとるっ……! やけど緊張してもーて……」
 改めて相方に向き直るとその顔に悔しさを前面に押し出し、唇を噛んでいて、その事にも俺はまたこれみよがしに溜息を吐いた。
「この程度のハコで緊張って……。ホンマそれでよぉお笑い芸人になろ思うたな。一体何年俺ら客の前に出とん?」
 自分でも辛辣な言葉を口にしていると分かっている。
 それでも俺達は三十になる。今回の大会で結果が出なければ、引退も視野にいれなければならない歳だ。
 そう……いつまでも夢を見ている訳にはいかない。
「次はっ……っ、次はちゃんとやるっ!」
「はいはい。それもぅ何回聞いたやろか」
 相方の決意を軽く受け流して俺は荷物を肩にかけると、控室へと向かう。
 その俺の後を相方も荷物を急いで持って追いかけてきた。
「なぁ、お前、次の大会終わったら芸人辞めるってホンマなん?」
 そして隣に並ぶとそんな事を聞いてくる。
「正確には大会で結果でぇへんかったら、や」
「……」
 今のままでは確実に大会で結果が出るとは思えない。俺の言外にある言葉を汲んだのか相方は黙りこくってしまう。
 そんな相方の横顔を横目で見ると、長めの前髪が目元にかかりその表情は伺えなかった。
 ただ、何かを言いたそうに何度か小さく口が動いていた。
「……なぁ、芸人辞めてどないするん?」
 長い、長い沈黙の後、そんな事を聞いてきてその事に苦笑した。
 どないするもなにも、そんなん言うまでもないやんけ、そんな事を思いながらも口を開く。
「せやな。地元に帰ってリーマンか、こっちで仕事見つけてもえぇし……とにかく、なんかマトモな仕事探すわ」
「……それでえぇんか?」
「なんがや?」
「夢、諦めてリーマンって、それでえぇんか?」
 気が付けば相方の足は止まり、俯き絞り出す様にそう聞いてくる。
 そんな相方の言葉にわざとらしく肩を竦めて見せ、廊下の壁に体をもたれかけさせ息を長く吐く。
「せやかて他に道、あるんか? 俺らもう三十やで? それなりの結果出さへんとプロにはなられへん。そんな事お前もよー分かっとるやろ?」
 俯いている相方に我ながら冷たい声で現実を突きつけ、鞄の中から就職情報誌と赤ペンを取り出す。
「お前とちごぅて、俺はいつまでも夢を追いかける訳にはいかへんねや。親かて高齢やし、安心させてやりたい」
 それをパラパラとめくり、めぼしそうな企業に丸を付ける。
「……俺と、もうやってけんっちゅう事か?」
 俺の姿を見ながら相方がまた拳を震わせながら絞り出す様な声で言い、それに苦笑を返す。
「……そやない。さっきゆーたろ。親を安心させたいんや」
「せやったら!!」
 震わせていた拳を開き、相方は俺の腕をガッと掴むと俺の持っている就職情報誌を廊下へと叩き落とした。
「ちょっ、何すんや」
「俺と! 夢、叶えるんやろっ! 大会も終わってへんのにもう諦めんなやっ! お前のお笑いにかける思い、そんなもんやったんかっ!」
 長い前髪の下、真剣な相方の双眸が俺を射貫く。
 ぎらぎらと輝き、まだ夢を諦めていないと分かるその瞳に俺は目を見開き、息を呑む。
「……っ。せ、やったらっ! トチらんよーせぇやっ! |脚本《ネタ》はえぇのに、いっつもそれで客は冷めんねんっ! 俺ら客を笑わせてナンボやろっ!」
 相方の瞳に気圧されたのは一瞬、すぐに俺は相方の胸倉を掴み返すとそう怒鳴った。
 相方の書く|脚本《ネタ》は実際おもろい。それなのに、それを相方自身が台無しにしてしまう事が多く、その事に俺は苛立っていた。
「俺を辞めさせとぉないっちゅーんならっ! お前がしっかりせぇやっ!! お前の|脚本《ネタ》やろがっ!」
 苛立ちのままそう言い放ち、相方の胸倉を掴んでいた手を乱暴に離す。そのまま勢い余って相方は反対側の壁に背中を打ち付け、廊下にへたり込んだ。
「……ほなら、な。今日はもう俺帰るわ。次のネタ合わせは完璧に仕上げてこい」
 背中を痛そうに擦る相方へ少しだけ罪悪感を覚えながらも俺はそう吐き捨てる様に言うと、相方を廊下に残して小さなライブ会場の裏口から外へと出る。
 すっかりと日は落ち、ちらほらと他の芸人コンビやグループの出待ちをしている女の子たちを尻目にそこから離れようとした時、裏口がガチャッと乱暴な音を立てて開くと相方が飛び出してきて俺の腕を掴んだ。
「俺、お前やないとアカンねんっ! 頼むから捨てんといてっ!」
「なっ……ちょぉ、おまっ!」
 出待ちの女の子たちの前でそんな誤解を生む様な爆弾発言をした相方に驚き、声を詰まらせる。
 周りからざわざわとした雰囲気が伝わってきて、かぁーっと顔が熱くなるのを感じた。
「お前が突っ込むから俺は安心していけんねんっ! 俺とやるん気持ちよぉない?! 俺はお前やから気持ちえぇんやけど」
「わーっ! こんアホっ! ドアホっ! なに言っ……ちょっ抱き付くなっ!」
「いややっ離れへんっ! これからもずっと俺と一緒やゆーまで離れへんからっ!」
 あろうこと相方は更に俺に抱き付き、また特大の誤解を招く様な事を叫び、俺はひぃいと喉の奥で悲鳴を上げる。
 じたばたと暴れるも相方の腕は離れず、周りの女の子たちの好奇に満ち満ちた視線が降り注ぐの感じて、余計に焦った。
「分かったっ! 分かったからっ! お前とこれからも一緒やっ!」
「ホンマ? 俺と一緒におってくれる?」
「おん……、おる……」
 もう恥ずかしいやら気まずいやらでそう小さな声で答えると、何故か周りから小さく拍手が起こる。
 その事になんでやねん! と思いながらも、相方の腕の力が緩んだその手の中から抜け出す。が、また相方の腕が俺の体に伸び、ぎゅうっと抱きしめてきた。
「ちょっ!」
「……良かった。俺とこれからも漫才、しような」
 にこぉと笑った相方の顔を見て、嵌められた! と思ったが周りの温かい拍手に俺はもう頷くしか道が残されていなかった。


「どぉもぉ~。カルビと牛タンです~!」
 そして俺達は今日も客を笑わす為に舞台へ立つ。

晩秋のスポットライト#ノート小説部3日執筆 テーマ「漫才」 

一年前と全く変わらない。ベビーカステラや焼きそばの出店、美術部が作った作品、文化部の部活動体験この文化祭は楽しい場所だったはずだった。
僕はそこから離れてブツブツとセリフを反復していた。生徒がガヤガヤ楽しそうにしている中で僕は何をしているのだろうと思ったけど、その思いを押さえつけ再び反復する。
ブツブツ反復していたら「どうしたの〜?そんな暗い顔して〜今から人を笑わせるんでしょ〜?」僕の顔を見るなり相方は笑いながら言った「ごめん……僕やっぱ緊張してるわ……」「大丈夫!今までやってきたことを信じてるし〇〇君も自分のことを信じたらいけるって!まだ時間あるしちょっと控室で練習しない?」「分かった……!やろう」
控室に入れば文化祭の出し物をするであろう生徒がそれぞれの場所で練習していた。あるところではダンス、あるところではバンドが練習していて一年前見た光景と全く変わらない。
僕は1年前に文化祭の出し物で今とは別の相方と漫才をすることになった。この控室でキラキラしている生徒を尻目に漫才を練習した。漫才はちゃんと頭に入っている。あとはウケるだけ、そう思って相方とネタを調整していった。
文化祭の出し物が始まると歓声や拍手が会場を包んでいた。その音に圧倒されてる間に僕たちの出番になっていた。今出ていたバンドが最高に盛り上げて繋いでくれたバトンを落とせないと相方とスタンドマイクに向かって一直線に走り出した。「はいどうも〜ナインエネルギーです!よろしくお願いします!」拍手に包まれながらこの漫才は盛り上がって終わるはずだった、ところが「実は双子なんです〜」「いやどこが!?」つかみで笑い声が全く聞こえなかった。「……話変わるんですけど」そこからボケてもツッコんでも思うように受けなかった。ついには受けずに変な間が空いてそこで少し笑い声が聞こえる始末だった。スポットライトに照らされてるからなのか極度のストレスなのか体が火照っていった。観客に目をやれば初めは笑顔を浮かべながら拍手をしてくれたが漫才が進むにつれ顔の表情が良く見えなくなっていった。僕の空目だと思うけど漫才が終わるときみんなの顔のが深淵みたく真っ黒になっていた。深淵に吸い込まれそうになりながら、とっとと漫才を終わらせてスポットライトから逃げるようにハケていった。袖でグロッキーになっていた僕に相方は「もっと面白いネタ書いたらウケてたのにな」といった。そこから1年前の文化祭の記憶がない。
文化祭が終わって友達と下校する時に恐る恐る「僕たちの出し物だった?」と聞いた。すると、「まあ……良かったんじゃない……?」と言われた。いつも僕がドジこいたらここぞとばかりにイジってくるくせに腫れ物扱いされて僕はあの舞台で滑ったんだと突きつけられた。そこから1年間誰も僕に文化祭の話を降ってこなかった。それが一番悲しかった。自虐することも許されなかった。
そして1年後文化祭の出し物に参加するかの紙が配られた。最初僕は参加しないと決めていたけど、腹の中で「もっと面白いネタ書いたらウケてたのにな」と相方に言われたのが沸々と沸き上がっていた。相方を後悔させたい。そんな邪な動機でもう1回出し物をすることを決めた。 一人でネタをやろうと考えたとき、「あれっ?〇〇君出るの?」今の相方との出会いはここから始まった。「うん……僕一人で出ようと思って」「えっ〜?俺あの漫才好きだったのにな〜」「……あんなウケてなかったのに?」「だから不思議だなぁと思ってね〜あれって〇〇君が書いたんだよね?」「うんそうだけど」「俺も出し物でお笑いをしたいって思って紙を提出しようとしてたんだけどさぁ……もしよかったら俺と漫才してみない?」「えっいきなり!?ちょっと話しただけなのに!」「もう〇〇君の名前書いたから」「気が早すぎるよ!まだ僕いいよって言ってないじゃん!」「さすが文化祭でツッコんでたことあるね〜!」「褒めてもダメだから!!」ふと僕は気づいた意外と相性いいかもって「なんかまんざらでもない顔してるじゃん!じゃ出してくるね〜」「ちょっ!?ちょっと!?」
こうして今の相方と漫才をひたすら練習して今文化祭の出し物の控室にいる。あるところではダンス、あるところではバンドが練習していて一年前見た光景と全く変わらない。ただ変わったのは僕の相方が変わっただけだ。「ここのところさもっと動き激しくしてもいい?」相方は本番の前になっても提案してくれる。あいつに緊張は存在しないのかと思ったけどその能天気さは自分の支えになっていった。「そろそろ僕たちの番だね」「よしっ!頑張ろうな!」
文化祭の出し物が始まると歓声や拍手が会場を包んでいた。僕はあの時滑った記憶を思い出してしまって少し顔を強張らせながら「もしさ滑ったら本当にごめんね」情けないと思いながらも言ってしまった。「大丈夫!前滑ったやつには誰も期待なんかしてないから」「ちょっとは心配しろよ!僕もう泣く寸前だよ!」「それそれ!それが出たら大丈夫!」相方に振り回されながらもあと一組終わるのを待っていた。そして……「では出囃子始まったらスタンドマイクに行ってください」とスタッフから指示をもらった。「続いては剛腕スプレーで漫才です!どうぞ!」その言葉と同時に出囃子が流れた。「はいどうも〜剛腕スプレーです!よろしくお願いします!」「実はこう見えて一卵性の双子なんです。」「全然違うよ!どう見えてるのそれ!」「今ツッコんだ人1年前に漫才をしたんですけどこのつかみをやって……爆スベりしました」「やめてぇ!今言うの!!あとスベってはない!みんな出店に行って会場にいなかっただけ!」つかみから僕が聞きたかった声が聞こえた。そこからどんどんウケていって自分の声が聞こえなくなるほどにウケているのが分かった。「もういいよ!どうもありがとうございました!」こう言った時に一番の拍手をもらった。その拍手を残してあのスポットライトからハケていった。

#ノート小説部3日執筆 「いろいろと、変わっていくもの。です。」 

……暇、です。
もう10時です。そろそろお腹が空く、です。おやつは食べました。さすがに菓子パンでお腹は膨れませんね。
まあ、よくあること、です。お母さんは今からお仕事ですし、お父さんは……今度はいつ帰ってくるんでしょうかね。お母さんのメシはマズいし、お父さんのメシは少なすぎるので、どのみち、ですけど。

電気代の節約のために、リビングは今日も真っ暗です。この時間まで電気つけてると、怒られちゃうので。

それはそれとして、暇つぶしにテレビをつけています。暗い部屋で見ると良くないらしいですが、知ったこっちゃありません。どうせ、こはくちゃんは早めに死ぬでしょうから。

今は漫才の番組みたいです。この時間に見れる娯楽はこんなもんです。他は重たいドラマと、ニュースくらいしかありません。
『はいどーもー!“クルトンブラザーズ”でーす!』
あ、この人たち知ってますよ。クラスのクソガキがよく真似してるやつです。正直、真似の方はおもんない、です。
それでも人気なのですから、本物はきっと面白いのでしょう。一応ちゃんと見ておきますか。


『――もうええわ!ほな、ありがとうございました〜!』
……おもんなかった、です。いや、こはくちゃんの感性に合わなかっただけ、です。きっと。
内容が虚無でした。真似しやすいフレーズがちょっとあって、それを繰り返すだけでした。うん、そんなもんです。

改めて考えると、こはくちゃんが面白いと思う漫才ってありましたかね。
なかったですね。うん、ありませんでした。ぶー。
というより、何事にも無気力なので、何も魅力的に見えないです。最近いつもこれ、です。

うーん、やっぱり行くべきですかね。被験体。
お家にお金も入るし、たぶんご飯は毎日出るでしょうし。支給のお布団はきっと、タオルケットより暖かいでしょうし。
よーし、そうと決まればやることは一つです。
連絡帳のサインと同じ要領で、一緒に書いちゃえばいいです。
どうせこはくちゃんは、お家にいてもいなくても関係ないですからね。

……やっべ、お母さん帰ってきた、です。
早くテレビ消して、部屋にすっ込んどかないと、怒られちゃう、です。
起きてるのがバレたら、怒られながらマズいメシを食うハメになるので。


――
……暇、です。
ごはん食べたら早よ寝ろってのは、そうなんですけど。
なんかお兄ちゃんが帰ってくるまで、寝たくないんですよね。
あ、お兄ちゃんって呼んでますけど、血縁はありません。同じ研究所の被験体仲間ってだけです。
研究所からみんなで逃げ出した後、こうやって共同生活してるんです。

とりあえず、テレビでも見ますか。
この時間だと、お笑いくらいしか見るものがありません。ニュースは苦手ですし、ドラマは一話から観たいので。

『はいどーもー!“クルトンブラザーズ”でーす!』
あ、まだ現役だったんですね。このコンビ。長く人気なのは良い事、です。
ツッコミのおじさんは変わってませんね。ボケのおじさんは、むしろ若返ってますが。10年ちょっとで、ニンゲンはここまで変わるモンなんですねぇ。

まあ、こはくちゃんは人外になりましたが。見かけは普通のニンゲンですけど、内部構造がごちゃごちゃになりました。
他の子は尻尾やら耳やら体毛やらが変わってるのに、こはくちゃんはそんなに変化がありませんでした。まあ、そういうもんです。そういうこともある、です。


『――もうええわ!ほな、ありがとうございました〜!』
……ちょっと面白かった、です。
全体的にツッコミの例えが分かりやすくなってました。ボケも無理がなかったので、繋ぎがスムーズになってましたね。
そりゃ長く愛されるわけです。

『はい、ありがとうございました。いやー、何年経っても変わらないですねぇクルトンブラザーズは』
そうですか?なら、こはくちゃんの感受性がいくばくかマシになったのでしょう。昔はボロカスでしたからね。心身ともに。

……レビュアーみたいなことしてますが、こはくちゃんはお笑いは得意ではありません。
どうやら笑いのツボが虚無なので、感心することこそあれど笑いはしないんですよね。なんでですかねぇ。こはくちゃんだって笑いたいですよ。それこそ、その辺の陽キャみたいに、お手手叩いてキャッキャしたいです。

ま、できないものはしょうがない、です。古事記にだってそう書いてあります。
できないものをできるようになるには、少なくとも、ニンゲンを辞める以上のことが必要になりますから。ニンゲン辞めてもぜんぜんできない、こはくちゃんが言うんです。間違いありません。

……あ、お兄ちゃんが帰ってきました。今日はだいぶ早い方でしたね。
それじゃ「ちょうど今から寝ようと思ってました」のノリを出しておきましょうかね。こうしておくと怒られないので。
とりあえず、おふとんを羽織っておきますか。

遅刻しました:ablobcat_pekopeko: #ノート小説部3日執筆 お題:シュトーレン 「忘れられない思い出」 

この時期になるといつも思い出す。
 高校時代のクラスメートの事。
 席が隣同士、という理由で話す様になった子。
 親友、という程じゃなかったけど、放課後、時折一緒にお茶して帰るくらいの仲良し。
 それでも学校で会うからか、お互いの連絡先は知らないという不思議な関係。
 他の友達とはすぐに電話番号やトークアプリでIDを教え合ったのに、何故かその子には聞かれなかったし、私も聞かなかった。
 そんな近いのか、遠いのか分からない、不思議な関係のクラスメイト。
 その彼女がこの時期、一緒に良く立ち寄る駅前のカフェが併設してあるケーキ屋さんでお茶をした後、必ずひとつ買って帰っていたパウンドケーキみたいなお菓子があった。
 当時、物珍しかったそのお菓子は、彼女曰くドイツのお菓子で中にドライフルーツやナッツがたっぷりと入っていて、毎日薄くスライスして食べるのがクリスマスまでの習わしで楽しみなのだという。
 その事にへー、と思いながら値段を見て、私のお小遣いでは手が出ない遠い存在のお菓子だという事しか当時は結局分からなかった。
 そしていつか大人になったら買って彼女が言っていたように、クリスマスまでそれをスライスして毎日食べてみたいな、なんて思っていた、の、だけど……。
 それはいまだに果たせていない。
 街中にジングルベルやクリスマスソングが溢れだす頃に、そのお菓子はパン屋さんやケーキ屋さんの店頭で最近良く見かけるようになった。
 丸々一本売っているだけじゃなくて、ハーフや、すでにスライスしてある物が個包装されて売られていたりもする。
 それに大手パンメーカーもいつの間にやら手ごろなお値段で各種サイズが展開され、全国販売している。
 昔は完全にそこそこな贅沢品としての家族向けだったお菓子が、いつの間にやらお財布やおひとり様にも優しい仕様になっていた。
 それでも毎年この時期になって彼女の事を思いだしながら、なんとなくそれを買う気持ちになれないまま、歳を重ねている。
 首へ巻いたマフラーに口元まで顔を埋め、仕事帰りに家へ帰るのも侘しくてあてどなく街を彷徨う。
 この時期イルミネーションに彩られた街は、その美しい明かりを見ているだけでも心が浮き立ってきた。だけども、一人で見るにはあまりにもそのイルミネーションは眩しくて、美しくて、――そしてもの悲しい。
 街中には様々な店がひしめき合い、その明かりも人々を照らし、皆一様に浮足立っている空気をかもしだしている。
 そんな皆を見るともなしに見ながら私の頭の中は、彼女の事ばかりだった。
 何度も、何度も彼女があのお菓子を買って帰っている姿が脳裏に浮かんでは消える。
 何故、こんなにも彼女の事を思いだすのに、それを私は買って帰る気にならないんだろうかとそんな事を今頃になって思う。
 いつだって思い出すのは、あのお菓子が入った紙袋を手に持って幸せそうに笑う彼女の姿。
 学生服に学校指定のコート、そしてマフラー。学生鞄と一緒にそのケーキ屋さんの紙袋を大切そうに持って彼女は帰り道微笑んでいた。
 そして、記憶の中の彼女はいつも私に向けて小指を差し出すのだ。
『約束、ね』
 そう言いながら。
 その約束が思い出せなくて、そして、私はその『|約束《指きり》』をしたのかさえも良く思い出せなかった。


 彼女は、高校三年生の冬休みの間に家族の都合、という理由でどこか遠い所に引っ越していった。
 先生はあまり詳しい事を教えてくれなくて、どこへ引っ越していったのか私は知らないまま。なにせ、本人に連絡する術が私にはなにも無かったから。
 他の友達にも聞いてみたけど、誰も彼女がどこへ引っ越していったのか、そして私と同じように彼女の連絡先を誰一人知らなかった。
 そういえば、と思う。
 彼女が私達と一緒にいる時、一度もその手にスマホを持っていなかったような気がする。ひょっとしたら、持っていなかったから連絡先の交換をしていなかったのかもしれない。
 高校は皆それなりに家から距離が離れていたし彼女と私の家は全く正反対の場所にあった。その為、彼女の家にも行った事がなくて、彼女が私の家に来た事も無かった。
 その事に思い至り、改めて自分が彼女の事を何も知らなかったことを痛感した日でもあった。
 でも彼女といる時間は穏やかで優しくて、思い出す彼女の顔はいつも笑顔だ。
 それは酷く苦くて、痛い記憶。
 彼女と一緒に過ごした時間が甘くて優しかっただけに、この時の記憶の味は酷く苦い。
 そしてその日以降、私は彼女と良く行っていたケーキ屋さんに行く事もなくなり、そのまま高校を卒業。大学に入る為、一人地元を離れてしまった。


「あのお菓子、買ってみようかな」
 ふと、何年か越しにそんな事を思う。
 いつまでも彼女の事を引き摺っていても仕方がない。――というか、我ながら、六年も引き摺るだなんて情けない。
 自分がこんなにも友達にさえも未練がましい人間だなんて思いもしなかった。
 いい加減、吹っ切れなきゃ。と思う。
 別に彼女だけが友達だった訳ではないし、今でも連絡先を知っている友達とは連絡を取り合い、年に数回会って遊んだりもしている。
 それでも、彼女に「さようなら」も「また会おうね」という約束も出来ないまま、離れ離れになってしまったのは胸に痛い。
 チリチリとした痛みに胸を焦がされながら、目についた小さなケーキ屋さんへ入る。
 甘い香りが鼻孔をくすぐり、その甘さに何故か懐かしさを覚えた。
 遅い時間だからケーキケースの中はもう残り少なくて、こじんまりとした店内には販売をしている人が一人だけいた。
 その店員が明るい声で「いらっしゃいませ」と声をかけてきたのに会釈をして、ぐるりと店内を見渡す。
 小さな店内は可愛らしい飾りつけと、美味しそうなお菓子が所狭しと並べられていて、かなり好みの内装だった。そしてほどなく探していたお菓子は店内の一番いい位置に可愛らしいポップと飾りつけの中、デデーンと鎮座しているのを見つけ、私はそのお菓子に近づく。
 可愛らしいポップに書かれている文字は『シュトーレン』。
 あぁ、これだ。と思う。
 あの時、彼女が買っていたのもこんな形で粉砂糖が雪の様にふんだんに振りかけられていた物だった。
 瓜二つのそれに、私はいそいそと手に取ると、ずしりとした重量が腕に伝う。
 こんなに重い物だったんだ、と思いながらレジへと向かい、清算し店員からこの店のポイントカードを受け取って店を後にした。
 丁寧に包装され紙袋に入れられたそのお菓子は、確かに幸せな重さだっただろう。
 あの時、彼女が嬉しそうに抱えていたその重さを今私も腕に感じながら帰路に着く。
 今日からクリスマスまで彼女が言っていたように薄くスライスして、毎日食べよう。とびっきりの美味しい紅茶を淹れ、彼女との楽しかった記憶をお供にして。
 そして、漸く気が付いた。
 ずっとこれを買って食べなかったのは、買うと彼女の事を忘れてしまうような気がしていたからかもしれない。
 親友という程仲が良かった訳ではないけれど、彼女との友情は掛け替えのない大切なものだ。
 そして、その記憶はきっとこれからも薄れる事はないだろうと、漸く私は気が付いた。

#ノート小説部3日執筆 「待降節の楽しみ」 お題:シュトーレン 

私が子供の頃は、クリスマスの楽しみといえばプレゼント以外には当日のケーキとチキンくらいのものだった。
ケーキも普通のいちごショートにサンタの砂糖菓子が載っている程度だった気がする。
それが今やケーキはブッシュドノエルにクリスマスプディングにクグロフ……と世界各国のクリスマスケーキが普通に店頭に並び、オペラやフルーツタルトといったいつでも買えるケーキでさえクリスマス仕様に装いを変えている。
しかも楽しみは当日だけではない。クリスマス前の4週間に行われるアドベントのうち商機になりそうな風習が輸入されて、ハロウィンが終わるや否や輸入食品店を中心にアドベントカレンダーだのシュトレンだのパネトーネだのといったものが店頭に溢れかえる。
もちろん我が家もその影響を多大に受けている。
「見てーきょんち! 今年のアドベントカレンダー、光るやつ買っちゃった!」
同居人のミカは流行り物が大好きだ。面白いギミックがついたものは特に好きだ。
なので彼女がアドベントカレンダーとかいうアイテムに惹かれないわけがないのだった。
……などという私もあまり人のことは言えないわけで。
「で、きょんちは今年はどこのシュトレンにしたの?」
元から海外文化かぶれの気があった私は街中の至るところでシュトレンが売られるようになる前から、アドベントが近づくとシュトレンを自作していたのだった。
ここ最近は仕事が忙しいのもあり、また輸入食品店どころかそこらの洋菓子店やスーパーでも気軽に買えるようになったため、味比べと称して毎年違う店のものを購入している次第だ。
「今年はKALDIにドイツ直輸入のやつがあったからそれにしたよ。ちゃんと年明けまで日持ちするやつだから、今年こそはちゃんと4週間かけてじっくり食べたいところ」
「それって大きい?」
「いや、普通のよくあるサイズだけど」
するとミカは頬をぷうと膨らませた。
「えーっ、じゃあ今年は毎日ちょっとずつしか食べられないってこと?!」
「シュトレンは薄ーーく切ってちょっとずつ食べるのが普通なんだよ」
そう、シュトレンは薄く切って食べるものである。けれどそこらの洋菓子店などで売られているシュトレンは案外日持ちしないものが多く、アドベントの始まりに買うとクリスマス前に賞味期限が切れてしまうので、それを口実にちょっと厚めに切ってサクッと食べきっては次のを買うというのがここ数年のサイクルだった。
それはそれでいろいろなシュトレンを味わえていいのだが、ただでさえ忘年会だクリスマスだ年末年始だとカロリー過剰になりがちな時期である。
バターをたっぷり染み込ませてこれでもかとばかりに粉砂糖をかけたシュトレンを毎日モリモリ食べて、身体にいいわけがない。
私もミカも、いくら食べても太らなかった夢のような年頃はとうに過ぎ、もう食べれば食べただけ身についてしまう歳なのだ。
もちろん金をかけてジムでも通って運動すればいいだけの話だが、生憎こちらは「動かないでいいスポーツだから」という理由でライフル射撃をやっていたようなぐうたらのインドア派である。(なお、射撃部も「動かないスポーツ」とはいえ運動部らしく普通に基礎トレと称した軽いランニングくらいはあったので、基礎トレの日になる度に入部を後悔したとかいう話はとりあえずおいておく)
一方ミカは「食べたら食べた分だけ運動すればOK!」という根っからのアクティブ派である。
「えー、じゃあしょうがないから自分の分は別に買うかー。実はチョコレートのやつとか気になってたんだよねー。きょんちが『邪道!!』って言って絶対買わないやつ」
とまあ案の定モリモリ食べる気満々である。
「ほどほどにしときなよー。カロリーも出費も割とバカになんないんだからアレ」
「だいじょぶだって、そこまでバカ食いはしないよー……多分」
そうは言うが、彼女がクリスマスまでにいったい何本のシュトレンを消費するか正直見ものである。
私が買うのは王道のマジパンシュトレンだけだから、4週間のうちに多少飽きてくるのかそんなに多くは食べないが、街にはさまざまなシュトレンが溢れている。新しもの好きの彼女がそれらを片っ端から試さずにいられるわけがない。
「ふーん?」
ニヤニヤしながら彼女を見やる。
「た、食べ過ぎたらその時はその分ジムに通うの増やせばいいだけだし!」
絶対に言うと思ったセリフを吐いてミカはそっぽを向いた。
あぁ楽しみだ。
そう思いながら、普段自分では買わないようなシュトレンを彼女が買ったら一切れくらいは味見させてもらおうと思っている自分もいる。
クリスマスまであと1ヶ月。
間もなく今年も終わるのだと思うと愕然とするところもあるが、まだ楽しみは尽きそうにない。

おわり

※日本では「シュトーレン」と発音することが多いですが、本来は「シュトレン」が正しいので本文中ではシュトレンで統一しております

#ノート小説部3日執筆 「毛布はお揃いで」 お題:毛布 ※前回分 

鶏卵に擬態したまま出荷され、音希宅の冷蔵庫に仕舞われたままになっていたところを何も知らない音希の手によって偶然にも『孵る』ことができた仔こんふぃことフィオは、『孵って』から初めての冬を迎える。
冬といっても火星の都市部は基本的に気象システムによって気温管理されているために地球のそれほど冷え込むわけではない。
ただ火星にも地球と同様に地軸の傾きがあるため周期的に寒暖差が発生し、気温調整はその本来の寒暖差にあまり逆らわない形で行われているので、結果として擬似的な四季が再現されているというわけである。
「自然は克服すべき対象だ」という思想の人々には甚だ不評なこの気温調整方法は『エコ』というお題目によりその不評をどうにか抑えこんでいるのが実情だが、四季を愛でる習慣のある国から来た人としてはありがたい限りだ。
春先に擬態の殻から外界に出て、三寒四温の中初めてのおふとん脱ぎをした時にはぺらぺらのおふとんしか作れなかったフィオも、今ではすっかり気候に合わせたおふとんに着替えられるようになった。
刻一刻と迫る冬に向けてフィオはせっせとおふとんを脱ぎ替え、その度に身体に纏うおふとんは厚みを増していく。
そして脱ぎ終わった古おふとんは例外なく作業中の音希の膝の上に乗せられた。まるでおふとんを着ていない音希に分け与えるかのように。
そんなフィオの気遣いを始めはいじらしく思っていた音希だったが、作業卓に積み重ねた古おふとんの数が増え、フィオが既に十分な厚みのおふとんを纏っているにも関わらず頻繁におふとん脱ぎを繰り返していることに気づくと、さすがに不安の方が勝り始めた。
それに何だかおふとん脱ぎにエネルギーを使いすぎて疲れてきているようにも見える。
……というわけで音希はフィオを連れて再び病院の門戸を叩いたわけなのだが、「きちんと適切な室温で飼っていますか?」「初めての冬なのでおふとん脱ぎの調節がうまくできていないのでしょう」とまたしても役に立たないアドバイスと少々のエネルギーサプリの処方で診察料をふんだくられて終わったのだった。
音希の家は寒がりの音希に合わせて床暖房付きの物件である。空調だってしっかり効かせている。故に室温は問題ないはずだ。
もちろんフィオがおふとん脱ぎの調節が下手な個体である可能性は拭えないが、それにしては何だか目的を持って無理やりおふとん脱ぎを繰り返しているようにも見えるのだ。
そう思った音希はこんふぃ飼いの先輩、それもおふとん脱ぎが多い個体を飼っている人に話を聞いてみることにした。
かつて蚤の市で出会ったあの人である。
ある程度はマリーカに商品として卸しているとはいえ、おそらく今でも蚤の市で古おふとんのリメイク品を売っているはずなので、音希は都合を合わせて訪ねてみることにした。
久しぶりの蚤の市である。
クリスマスが近いことからクリスマスリースやオーナメントの出品をする者も多い中、その人は変わらず古おふとんのリメイク服を売っていた。
最初に会った時と違うことがあるとすればそれは、その人がこんふぃと見紛うようなポンチョを身に着けていることくらいだろう。
「こんにちは、ご無沙汰してます」
音希の方から声を掛けると、その人はぱっと微笑んで挨拶を返してくれた。
「あら、こんにちは。ここでは久しぶりかしら? もしかしてフィオちゃんの冬用のおふとんを探しにいらした?」
「いえ、実は……」
音希はフィオが脱いだ古おふとんの山を見せ、その人に分かっている限りの事情を話した。
もう十分な厚みのおふとんを着ていること。
疲弊してまでおふとん脱ぎを繰り返していること。
それから脱いだおふとんは必ず音希の膝に置いていくこと。
するとその人は「あらあら」と微笑んで、「きっとあなたがおふとんを着ていないから、あなたの分のおふとんも用意しようと頑張っちゃったのかもしれないわね」と答えてくれた。
それならおふとん脱ぎの回数が多いのも、毎回膝の上に置いていくのも納得がいく。
フィオは小さいなりに頑張って、自分のためにひざ掛けを置いてくれていたのだ。
そう思うと急に愛しさが増して、音希は持っていた古おふとんの束をぎゅっと抱き締めた。
着られるものなら着てやりたいところだが……
「あの、この量じゃ縫い合わせても自分が着られるサイズにはならないですよね……?」
「そうねぇ……フィオちゃん小さいから、これだと帽子くらいにしか……そうだ、このケープにフィオちゃんの古おふとんでフードをつけるのはどうかしら?」
そう言ってその人は音希に合うサイズの古おふとんケープを出してきてくれた。
「これのこのあたりにね、1枚に縫い合わせたおふとんをつけてね、上をこうふたつに折って縫い合わせれば大丈夫だと思うわ」
おまけに作り方まで説明してくれる親切っぷりである。
「……自分、裁縫あんまり得意じゃないんですけどできますかね……?」
「大丈夫よー、学校の家庭科で習うような直線縫いだけだもの」
……そう言われると何だか自分でもできるような気がしてくる。というかここでやらねば何かが廃る。
「わかりました、やってみます。……というわけでこのケープ買わせてください」
ということで音希は一大決心の末、古おふとんのリメイクをすることになったのだった。
ケープを売ってくれた人がメモ用紙に簡単な図解を描いてくれたので楽勝──かと思いきや、ハンカチ程度の面積しかないフィオの古おふとんを縫い合わせる作業に四苦八苦。
縫い代を取りすぎればフードを作るには足りなくなってしまうし、かといって縫い代をケチれば今度は生地がほつれて穴が空いてしまう。そして手縫いで真っ直ぐ縫うのも案外骨が折れるときている。
それでも何とか作業の合間を縫っては作り進め、その間にさらに脱ぎ足された古おふとんは折って耳代わりにしてフードに縫い付け、どうにか音希は不格好ながらもこんふぃ風ポンチョを完成させることができた。
そして出来上がったばかりのそれを自ら羽織り、フィオに「ほら、これでお揃いだよ。もうこれで自分も寒くないから、大丈夫やけんね」と語りかける。
以降、フィオの異常なまでのおふとん脱ぎはぴたりと止み、蚤の市の人の推測が正しかったことが証明された。やはりこんふぃのことはこんふぃ飼いに訊くのがいちばんである。
もともと寒さとは無縁の音希宅ではあるが、フィオとお揃いの毛布を着ることができ、しかもそのおかげで空調代を若干節約できたので、災い転じて福となすとはまさにこのことだろう。
今日も音希とフィオはお揃いの毛布で作業卓に並んでいる。

どっとはらい。

タイトル「続きはファンボックスで」 お題「シュトーレン」 #ノート小説部3日執筆  

「はい。デザート作ってきたから一切れあげるね」

弁当を食べ終えた俺に、彼女は一切れのパウンドケーキのようなお菓子を差し出してきた。
ドライフルーツのようなものが大量に練り込まれている。

どれ・・・思ったより固いな。
フランスパンみたいだ。

「美味しくない?」
「そんなことないよ」

ケーキだと思ったから固さに戸惑ったけど、味はいい。
ドライフルーツの甘味とバターのうま味がしっかりと詰まっている。

「もう1個くれ」
「ダメ」
「なんでだよ?」
「残りはまた明日。フルーツの味が染みてくるから一切れずつ食べるの」

そういうと彼女は片付けを始めた。

そうそう。
さっきから彼女と言っているが、それはただの三人称。
俺と彼女は恋人同士ではない。
ただの幼なじみだ。
二人とも、一人身でこの季節になるとクリスマスまでに恋人がほしいねなどと愚痴を言い合い、結局、家で家族と過ごしている。

「じゃあ、戻ろっか」

そういえば、あのお菓子はなんて名前なんだろう?
たぶん、パウンドケーキじゃないような気がするんだが。

・・・

次の日の昼休みも彼女は例のお菓子を持ってきた。
なるほど、昨日より甘みが強くなっている。
しかし、やはり一切れでは少々物足りなく感じる。
こちとら育ち盛りの男子である。

「これ、賞味期限とか大丈夫なの? ケーキ的なのってすぐダメになるイメージあるけど」
「大丈夫だよ。そういうふうに作ってあるから」

そういうものらしい。
詳しく聞いて見たのだが、固いのも痛みにくくする工夫なんだとか。

・・・

だんだん街がクリスマスっぽい雰囲気になってきた。
ご近所さんが庭をイルミネーションしていた。
少し気が早いと思うのだが、週末の空いた時間にやってしまいたかったのだろう。

この時期は学校のなかもそわそわし始める。
冬休みの始まりが重なることもあって、気になる子との約束を作ろうとやっきになってるやつも多い。

そんな中で幼なじみといえど、男女でお弁当はなんとなく気恥ずかしい。

「はい。今日の分」

しかし、彼女はマイペースに今日の分のお菓子を持ってきた。
あとなん切れくらいだろうか?
冬休みが始まるまでに食べ終わるといいのだが。

・・・

「今年は24日が終業式か。よったね」
「よかったってなにが?」

だいたいいつもそんなものだろう。
24か25。
まあ、1日でも早く休みになるのだから、そこはよかったと思うのだが。

「だって、君、昔、25日終わりだったときめっちゃダダこねてたじゃん」
「な・・・いつの話だよ」

確かに小学生のころそんなこともあった。
25日の朝にはクリスマスのプレゼントが届いているわけだ。
なのに、学校に行かなければいけないわけだから、新しいオモチャで遊びたい小学生はめっちゃダダをこねたわけである。

「今年も家でおじさんたちとパーティーなの?」
「うんうん。平日だから二人とも仕事。日曜にケーキ買うって言ってた」
「うちもそんなん。新しいゲーム買ってもるえるから当日はゲーム三昧かな」
「ふーん。じゃあ、今年も暇なんだ。まあ、私もなんだけど」
「暇ってことはない」

世界を救うために魔王を倒すか、霧の街に死んだはずの妻を探しに行くかしないといけないのだ。
どっちにしよう?

・・・

中学のころは冬休み前に期末テストだったが、うちの高校は前期後期で別れてるのでこの時期は結構ヒマ。
もっとも三年生たちはセンター試験の準備で冬休みどころではないみたいだけど。

「受験か。どうしよっかな・・・」
「ぜんぜん考えてないの? もう来年だよ」
「そっちこそ」
「私はとりあえず地元かな」
「じゃあ、俺も地元にしとくかな」
「じゃあってなによ」

だいぶ甘くなってきたお菓子をかじった。

・・・

「ごめん。そこは親に付き合わないといけないから・・・いや、ホントに親だから・・・」

いつも通り、昼休みに彼女に声をかけようと思ったら、クラスの子となにか話していた。

「お待たせ」
「なに話してたんだ?」
「別に大したことじゃないよ。気になるの?」
「別に」

話のタネに聞いただけだ。
詮索しようというわけではない。

お菓子の残りはだいぶ少なくなってきた。
ちゃんと数えてはないけど、冬休みに入る前ににはたぶん食べきれる。

・・・

あれ?
一切れ残るな。

そう気づいたのは終業式の前日である。
切り分けたお菓子が一つ残る。
終業式は午前中で終わる。
その日の昼休みはないから、余り1である。
食べ物を残すのは気がとがめる。

まあ、一切れくらい彼女が自分で食べるだろう。
どんどん味が増してるお菓子の最後の一切れを食べられないのは残念だが。

・・・

「さて、式も終わったしさっさと帰るか」

実はクリスマスプレゼントがすでに届いているのだ。
通販で頼んだら、クリスマス当日に渡せるようにと、前日に届いたのだ。
自分で頼んだ俺には無用な気遣いだが、これで1日早く遊べる。

「ねえ、シュトーレン食べに来ない?」
「早く帰りたいんだけど・・・シュトーレンってなに?」
「この間からあげてたお菓子だけど、知らなかったの?」

知らなかった。
あれはシュトーレンというらしい。
美味しかったのは間違いないのだが、スイーツが特別好きというわけではないのだ。
帰宅後の楽しみがほかにあるのに、寄り道までするとなると足が重い。

「あれってさ、逆お節みたいな感じで、クリスマスまでに一切れずつ食べてカウントダウンするみたいなやつなの・・・だから、今日も食べたほうがいいかなって・・・どう?」

そう言われると気になってきた。
ここまで来て最終日だけなしというのは面白くない。

「わかった。もらいに行くよ」
「うん・・・それと、今日はお父さんもお母さんも遅くなるみたいだから・・・」

本日は12月24日。
長年の付き合いだが、クリスマスイブに彼女の家に行くのは初めてである。

#ノート小説部3日執筆 『……もしかして、毎日これ食べるんですか?』 

前略。隣町のカエルちゃんから、シュトレンというお菓子をもらいましたわ。
粉のお砂糖がたっぷりかかった、パンのようなお菓子。

曰く、本島のニンゲンどもは毎年、冬にこれを食べるらしいのです。
ちょっと調べたところ、少しずつ切って、一日ずつ食べるみたいですわね。年越しのカウントダウンを、このお菓子でするようですわ。
クリスト(きりすと)の祭りごとは分かりませんが、まあ、そういうものなのでしょう。

ふむ、しかし参りましたね。わたくしはコレを小さく切れるほど、器用ではありません。袋はムリヤリ開封しましたから、凄まじいビリビリ具合ですわ。
だからといって、丸呑みにするのは風情に欠けますわね。
ヘビですもの。なんでも呑むのはさておきとして、せっかくのお菓子を丸呑みなんて。

これを切るためだけに、わざわざ子供たちを呼ぶほどではないでしょうが……。というか、今頃
冬眠しているかしら?
今年は坊やもおねんねみたいですから、かなり寂しい冬になってしまうかしら。

仕方ありませんわね。一日に一回、一口だけかじっていくようにしましょうか。乾燥面はなんとかなるでしょう。もとより気にしないタチですし。

「かみさまー。
仙洳(せんじょ)から今日の分のシュトレン届いたよ〜」
子供の一人が、また小包を持ってきた。……今日の分?
もしかしてカエルちゃん、一日に一つずつ食べると思ってる?そんなんだから、もちもちになるのよ。

仕方ない。全部食べてあげますわ。
どうせ、わたくしの食べたものは燃料になりますもの。来年のカンテラが、いっそう明るくなるだけですわ。
[参照]

お題『シュトーレン』 「原理主義者の先輩と快楽主義者の後輩」 #ノート小説部3日執筆 

クリスマスまで一ヶ月。本番までの準備期間として、今の時期は小売店の品揃いがクリスマス一色になる。ケーキやチキンは当然として、シャンメリーやお菓子の詰め合わせといった、子供を楽しませるものも揃っていた。
 だが、日本のクリスマスには決定的に掛けているものがある。世界にはクリスマス一ヶ月前から用意され、クリスマスまでのカウントダウンとしても楽しめる、美味しい食べ物があるのだ。
 その名は、シュトーレン。ドイツの菓子パンである。パンでこそあるものの、常温で一月以上持つ保存食でもある。これを少しずつスライスして毎日食べ、クリスマスを待つのだ。このクリスマスまで一ヶ月の期間を降臨節(アドヴェント)と呼ぶ。宗派にもよるが、この時期こそ一年の始まりともされる。そう考えれば、日本では馴染の薄いシュトーレンが、如何に重要な食べ物なのかが分かるというものだろう。
 そう、一ヶ月掛けて少しずつスライスして食べるものだ。それなのに――





「は? 全部食べた?」
「……はい」

 後輩から飛び出した衝撃の発言。それを聞いた私は、間違いなく間抜けな顔をしただろう。
 事の発端は、昨日の放課後。私が例の如く――自分で言うのも何だが――クリスマスの原点について、後輩に話をしていた時だ。そこで降臨節(アドヴェント)とシュトーレンの話題を出した時、彼女が『じゃあやってみましょうか』と言った事だ。学校近くのパン屋にスライスと一つ丸ごとが両方売っていたので、買ってきたのだが……。
 あろうことかこの女、一日で全部食べきったのだという。降臨節(アドヴェント)の事を聞いて『楽しそう』と言ったのはコイツだと言うのにだ。
 しかし、流石に思うところがあるのか、普段すまし顔の彼女が今は若干バツが悪そうに口を歪めている。

「いやでも、仕方ないと思うんスよ。あれメッチャ美味くないスか? あんなモンちまちまスライスして食べるなんて出来る訳ないじゃないスか」
「むしろよく食べられたな……。あれかなりデカいし腹も膨れるだろ……」
「まあ、普通のパンよりは大分重いっスよね……。まあ、私からすればお昼ご飯程度っスね」

 フフン、と何故かどや顔でお腹を撫でる後輩。
 シュトーレンは腐敗を防ぐため、水分を徹底して奪うように作られている。そのため日本人が普段食べるパンより食感が固いので、必然噛む回数も多くなる。更に、中にドライフルーツやナッツといった具材が豊富に入っているのもあり、普通のパンよりずっとお腹が膨れるのだ。しかしコイツは、たった一日で食い尽くしてしまったというのだから驚きだ。幾ら女子では高い方の背丈とはいえ。

「あのね君……『楽しければ良い』というスタンスは分かるが、伝統ぐらい遵守しなよ」
「私キリスト教徒ではありませんし、良いかなと思って……」





「全くあの後輩と来たら……」

 私は夕食後、シュトーレンをスライスし、デザート代わりに一つ摘まんだ。
 まず口内に広がるのは、たっぷりと降りかかった粉砂糖の甘み。固めのパン生地を噛み締めると、素朴な小麦の味わいと共にナッツの香ばしい香りと心地良い食感に加え、ドライフルーツのジューシーな甘さも追いかけてくる。

「……まあ、気持ちは少し分かるが」

 菓子パンと言えば、この国ではクリーム類が一般的だ。故に素材の味を堪能出来るこのパンが、『菓子パン』として広まりにくいのは仕方無いかもしれない。
 しかし、クリスマスまでの一ヶ月間、毎日この素朴な味をゆっくり堪能出来るというのは、クリスマスまでの楽しみとして充分ではないか。

「……少し小さく切りすぎたか」

 私は誰も聞いていないのにそう言い訳して、もう一切れだけシュトーレンを口にした。





「先輩。あれから私、またシュトーレン買いましたよ」
「また一日で食べきるんじゃないぞ」
「二つ買ったので大丈夫です」
「……もう何でもいいや」

#ノート小説部3日執筆 お題:シュトーレン 「あの子の作ったお菓子が食べたい!」 

きっかけは十月三十一日のお昼休みだった。
 友達と「お腹すいた〜」なんて言いながら教室に戻ると、ちょうど扉の近くにいた雪野さんと目が合った。その手に持っていたタッパーには様々な形のクッキーが入っている。
「わ、ごめん」
 私は思わず謝ってしまう。本当に偶然だったとはいえ、食べたがってるみたいに思われるのが恥ずかしかった。
 すると雪野さんは楽しそうに笑みを浮かべる。
「ごめんじゃなくて〜、もっとさ、あるでしょ?」
「え?」
「今日、私が言われたいこと」
 私が謝ったときにはきょとんとしていたその目は、いつの間にか獲物を見つけた目に変わっていた。
「……あ、そういうことか……! ト、トリックオアトリート……?」
 察しも悪ければ、お決まりのセリフも照れちゃうし、なんともダサい。
「よーし! 好きなの取っていいよ!」
「ほんとに良いの?」
「いいよいいよ〜! ふ〜、大満足!」
 私たちにクッキーをくれた彼女は言葉通り満足した様子で自分の席の周りに戻り、同じように配り始めた。
 食べてみると、ものすごくおいしかった。友達とおいしいねって話したけどそんなくらいじゃ収まらないくらい、はっきり言って感動していた。
 ただ、あの子はお菓子を配れて大満足でも、お礼も感想も言えてない私は不完全燃焼。そして何よりも、雪野さんが作ったお菓子をまた食べたい!

 そう思ってから一か月、つまり、あの子のお菓子事情が気になるようになってから一か月である。わざわざ話す機会もない相手だけど、近くにいるときは聞き耳を立てこっそり目で追っている。ただのクラスメイトにこれほど執着するなんて自分でもかなり不思議だった。
 そして今週、ついにお弁当と一緒にお菓子を持ってきているのを目撃した。本来食べ物への興味が薄い私にはそのお菓子の名前は分からない。月曜日からずっと持ってきているのを見ると、あれは量があって日持ちするタイプの食べ物なのだろうか。遠くからはよく見えなくて詳細は分からないけど、嬉しそうに「上手にできた」と言いながら食べているということは、間違いなく手作りだ。私がずっと待ち望んでいた、雪野さんのお菓子がこんなに近い場所に存在している。
 でも、そんなチャンスが訪れたからといって、自分から話しかけられるようになれるわけではないのだ。何も行動を起こせないまま週末の放課後になってしまった。お菓子の残りがどれだけあるのか分からないけど、来週にはもう持ってこなくなっているかもしれない。そうなってしまうと話しかけるきっかけはなくなってしまう。……もう諦めた方がいいのかな。今までもあんまり話してこなかったんだし、あの時が特別ラッキーだったんだって納得した方がきっと楽なんだろうし。

 ところが、帰りに寄った駅前の書店で再びチャンスが訪れた。
(雪野さんだ……!)
 彼女が勉強法の本を手に取ったのを見てふと思い出す。そうだ。この一か月の観察で雪野さんについて気付いたことがもう一つあったんだ。例えば休み時間、友達の気配に気付いたあの子はそれまで向き合っていた単語帳をすぐ閉じ、一切相手に気を遣わせない。例えばテスト前、貼り出されたテスト範囲をいち早くクラスのグループトークに共有するのはあの子だ。誰にでも優しくてみんなに好かれる雪野さんの振る舞いは天性のもので自然とできちゃうタイプの人間なんだと今まで勝手に思っていた。でもずっと見ていると、その認識は少し違うと感じた。あの優しさを彼女はすべて楽しんでいる。もっと言えば、それを楽しむためには何一つとして諦めないという固い意志があるように見えた。
 私は目的のためにそこまでできるのだろうか。先月も食べたその場で感動を伝えに行きたかった。今週も「手作りなんてすごいね」くらいは言いたかった。私は諦めて後悔ばかりしている。羨ましいな。そっか、あの子が羨ましくてこんなに見入っちゃってたんだ。

 今回ばかりは負けてられない。雪野さんにも、臆病な自分にも。大きく深呼吸して、一歩を踏み出す。
「あの、雪野さん……!」
 話しかけると、彼女は驚いた様子で振り返った。
「わ〜、偶然だね! どしたの?」
「あのさ、言いたいことあって……」
 そう切り出すと、少し身構えさせてしまったようで慌てて訂正する。
「あ、別に悪い話じゃなくてね、あの……ハロウィンの時にもらったクッキーがめちゃくちゃおいしくて、お礼言えてなかったから。あんなにおいしくなるんだって感動したんだよね」
「あはは! 今?」
 やっぱりそう思われちゃうなら早く言えばよかったな……と、分かっていたけど改めて感じた。彼女は笑いながら言う。
「いやいや、そんなに喜んでもらえてたんだったらいつ言われても嬉しい〜! え、なんか好きなお菓子ある? 嬉しすぎて作ってあげたくなった!」
「え、そこまでしてもらうのは悪い……けど……また作ったときには食べたいな、くらいは思ってた。実は」
 思った以上の展開になりそうで少し混乱したけど、その勢いにまかせてずっと思ってたことを伝えられた。
「じゃあさ! シュトーレンいける? こないだ作ってね、もう一回作りたかったんだけど、さすがに余りそうでやめたの。でも食べてくれる人がいるならもっかい作れて私も嬉しいんだけど、どう?」
「シュトーレン……っていうんだ。あれ」
「ん? あ、もしかして狙ってた? も〜! それなら全然あげたのに〜!」
 最初は食べたがってると勘違いされるのが恥ずかしくて嫌だったのに、あの日、あの一瞬でそれは本心に変わりむしろ伝えたくなっていた自分に気付く。
 いつの間にか雪野さんによって自分が変えられていた感覚は、正直なところ、悪い気分ではなかった。だって、この羨ましいくらい楽しそうな笑顔に、私は勇気をもらえたのだから。

クリスマス「シュトーレン」#ノート小説部3日執筆  

「そういえば、そろそろクリスマスだな」
 一人がスマホのカレンダーを確認した。
「クリスマスっていうには早くね?」
「コンビニ行ったら、もうクリスマス商品並んでたからな」
「そりゃそういう戦略だろ」
「お前らはクリスマスどう過ごすんだ? 彼女とかできたか?」
「オメーは、親戚のおっさんかよ」
「ここにいるのに彼女とかいるわけないだろ」
「そりゃそうか」
ここは唯一、一人暮らししている男の家。
 ベッドに机、テレビ前の机。さっぱりしすぎて一人が「お前ミニマリストを目指してんのかよ」と聞いたが「いや特に欲しいものがないだけ」と流された。
 男に彼女がいるのならば、可愛い彼女のものが何か一つでもあってもおかしくない。ないということはそういうことだ。
「さみしーなお前ら」
「お前は何目線なんだよ。お前は呉服屋だけどなんかあんのか金持ちのパーティーとか」
「ねえよそんなもん。いつも通りの飯食って終わりだわ」
「意外だわ、俺たちを見下しながら『フッあるに決まってるだろお前らと違うんだよ』とかいうのかと思った」
「お前ら、俺に対してそんなこと考えてんの?」
「うん」
「ああ」
「はぁーーー!?確かに俺様は美しいけどさぁ!!!そこまで傲慢じゃねえって!!!!」
「俺様っていう時点でなあ」
「うん」
「はあーーーーーー!?そこは許せよ」
「真面目に戻るなよ」
「びっくりするわこっちが」
「それはすまん」
「普通に謝れるじゃん」
「お前ら俺のことなんだと思ってたワケ?」
「常識知らずの金持ち」
「下の人間のことを知らん上の人」
「え?????お前らと高校一緒だったよな??????お前らそう思ってたの????」
「そりゃあ……」
「お顔面がお美しい俺様ボンボンだし」
「じゃあお前らがなかなか家に連れていってくれなかったのは……!」
「お前がボロ家だなとか言いそうで……!!!!」
「俺がいない時に女子と喋ってたのは……!」
「お前と一緒にいて大丈夫?っていう心配されてた。お前がいない間だと結構女子と喋ってるぞ」
「そうだよ」
「クッッッソ俺も女の子と喋りたかったのに俺がこんなに美しいから!!!!!!!!!」
「そういうところだぞ」
「そうそう、『私あんな美しい人と付き合える自信ない……1日でフラレそう』って言われてたぞ」
「は〜〜〜〜〜〜????心外ですけど、俺は付き合ったら一生大事にするタイプだし」
「そういうの現実では重いって言ってたギャルが」
「まっまじ!?」
「なんでそこで普通に驚くんだよ」
「ギャルの情報なら確かじゃん。えーうそー俺ずっと可愛い可愛い言って大事にしたいのに」
「お前の家なんだっけ」
「老舗の呉服屋」
「お前は?」
「の、一人息子です」
「どう考えても奥さんにも過重がかかるのに何夢見てんだよ」
「すいません」

「老舗の呉服屋のクリスマス、どう考えても普通じゃねえな」
 一人が指を鳴らして「確かに」
「フツーだし!!!!」
「じゃあこれは?」
「ツリーだろ、俺の家にもある」
「大きさは?」
「俺と同じぐらい?」
「充分でけえぞ!おい!普通じゃねえ!」
「は!?普通だろ」
「クリスマスプレゼント、何もらってた」
「……土地?」
「うわあああああ金持ちでもそんなことしねえぞ」
「だからこいつ金持ちだって言ってんだろ」
「ちなみにどこの土地だ」
「結構有名なとこの土地。今でも使用料が入ってくる」
「おおおおおおおおおお」
「普通はな、土地なんてもらわねえんだ」
「流石にそれは知ってる。土地はあの後親に取られたし」
「俺は計算ドリルだ。毎年計算ドリル。小6まで」
「俺はゲーム欲しかったけど、親父の字であげられない理由を書かれたサンタさんからの手紙もらった」
「待って、小6まで……?」
「だめだ、だめだめこれ以上突きたくない」
「俺も」
「なんで!!!!!」
「お前が予想を絶する金持ちだからだよ」
「普通ならそんなことはない」
「じゃあこれも食ったことあんの?」
「何これ?」
「じゃあ食べたことないんだ。俺らと一緒だな」
「良かった〜〜〜〜一緒で〜〜〜〜〜!!!」
「なんなんだよこれ!」
「シュトーレンだ」
「シュトーレン……ドイツか何かのお菓子か?」
「くっそ頭いい。そうだよ!」
「クリスマスに食べる伝統的な菓子らしくて、結構食べる人がここ最近増えていてな。流行に敏感なお前なら知ってると思ってた」
「流行って10代女子には引っかかってないから知らねえのも当然だろ」
「お前なんでそんな限定的な流行知ってんだよ。こえーよ」
「流行の最先端だからな。知っとかないと」
「だからお前のインスタ自撮りばっかなのか」
「怖いぐらいにいいねついてるあれ?」
「あれ」
「あれのどこが悪いんだよTiktokもやってるぞ」
「うわあ」
「ダンスしてあげてんの?」
「ダンスもあげるけど、日本舞踊とかも上げてる」
「くそ、こいつのこのギャップで勘違いする野郎が増えていく!!!!」
「それはそれとして、シュトーレンがどうしたんだよ。食べるならいいケーキ屋知ってるけど」
「お前のいいケーキ屋はデパ地下だろうが、いやシュトーレン作れるらしいからな、作ろうと二人で話してたんだが、お前もやるか」
「そんな楽しいことやるに決まってんだろ!!!!!!!」
「クリスマスまで少しずつ食べるみたいだが、俺たち3人だからもう1日で食べてしまおう」
「お前らもしかして、ネット上のレシピでやろうとしてる?」
「ああ」
「その方が簡単だからな」
「数日くれ!ちゃんとしたレシピと材料揃えてくる!!!!!!」
「まあ、任せよう」
「うん、何円かかろうとあいつに任せればなんとかなるでしょ」

#ノート小説部3日執筆 シュトーレン小話 

「シュトーレン?」
 そいつは首を捻った。
「なにそれ『銀英伝』に出てきそうな名前」
「それは『シュターデン』ではないだろうか」
 それはともかく。
「お菓子だよ。ドイツのお菓子。クリスマスまで毎日スライスして食べるんだって」
「へえ……」
「白砂糖がかかってて、たっぷりのバター、ドライフルーツやナッツが入ってる」
「ふーん。で、食べたいの?」
「食べたい!!」
 僕は手を振り上げて主張してみせた。
「いいけど」
「ほら、これ、これなんだけど……」
 用意していた洋菓子店のチラシを見せる。まるまるとしたシュトーレンが横たわっていた。
「ん。けっこうお値段するわねえ……」
「クリスマスまで一切れづつだから!」
「まあ、そうか」

 そして、我が家にシュトーレンがやってきた。
 赤子のように抱きながら、僕はシュトーレンを揺らす。
「かわいいねえ……」
「そこは美味しそうとかじゃないの?」
 彼女が包丁を持ってきた。
「真ん中から切って、薄く一切れ……」
 ぱくり。
「ん……。あ、しっかりしてておいしい」
「洋酒とスパイスが効いてるねー」

 気がついたら、半分ほどがなくなっていた。
「紅茶を淹れたのがまずかったのかもしれない」
「ぱくぱく食べちゃったね」
 残ったシュトーレンは切り口をつけてラップをする。こうするとしっとりが長持ちするそうだ。
「そっかー。ぴたっとくっつけるといいのね」
 そう言って、彼女は僕の腹に抱きついてきた。
「……なにしてるの?」
「いや、くっつけたら食べたぶんの消化が遅くなるかなって……」

#ノート小説部3日執筆 お題:シュトーレン 一次創作『子々孫々まで祟りたい』キャラの奥武蔵・狭山咲・にゃんぷっぷーの話です 

クリスマスまでに少しずつ食べるものだけど、絶対クリスマスより前に食べきってしまうカロリー爆弾。それがシュトーレンだって咲さんは言ったにゃ。

「だから2本買ってクリスマスまで持たせるって寸法よ」
「偉業にゃ!」
「にゃぷちゃんも食べるでしょ?」
「絶対食べるにゃ!」

 にゃぷは嬉しかったにゃ。シュトーレンがどんなものかは知ってたけど、食べたことはなかったから。
 ラム酒につけたドライフルーツと、くるみをたっぷり練り込んだハードパン。それを溶かしバターに浸して、これでもかと粉砂糖をまぶしたお菓子。絶対絶対おいしいにゃ。

「むーちゃんも食べる?」

 咲さんはトレーニング中のオタくんに声をかけたにゃ。

「明日ッ……チートデーだからッ……! 明日ひと切れくださいッ……!」

 オタくんは全力でダンベルを上げつつ、息も切れ切れに言ったにゃ。

「はいよ、じゃあ今日は二人で食べよ、にゃぷちゃん」
「ぷにゃー!」

 咲さんは早速シュトーレンを薄く切って、お皿に乗せて出してくれたにゃ。飲み物は、にゃぷはカフェオレ、咲さんはブランデー。
にゃぷは、にゃぷのフォークを使って早速シュトーレンにかぶりついたにゃ。
 すごく甘いにゃ! 先にくるのは粉砂糖の甘み、噛み締めていくとドライフルーツの甘みにゃ。くるみのカリカリ食感と、多分いちじくのプチプチ食感も楽しいにゃ。
 甘いのに隠れて気づきにくいけど、バターのコクがすべてを下支えしてるにゃ。バターは砂糖にもパンにも合うけど、ドライフルーツにも合うのにゃ。おいしいものは脂肪と糖で出来ているのにゃ……。

「すっごく……すっごくおいしいにゃ!」

 にゃぷが感激のあまりそう言うと、咲さんは「そりゃよかった」と笑ったにゃ。
 シュトーレンの一口一口がすごい満足感で、にゃぷはカフェオレを挟みながら少しずつ食べたにゃ。咲さん、シュトーレンの楽しみ方をわかってるから飲み物と一緒に出してくれたのにゃ?
 咲さんはブランデーをちびちびやりながら「最高……」とつぶやいたにゃ。

「絶対太る味なんだけど、この味を知ると毎年絶対買っちゃうんだよねえ」
「わかるにゃ……」

 にゃぷは深く頷いたにゃ。

「来年も買ってにゃ」
「うんうん、来年も3人で楽しもうね」

 にゃぷは、オタくんも咲さんも大好きにゃ。来年も3人で一緒にいられたらいいと思うにゃ。

遅刻しました。 #ノート小説部3日執筆 お題:毛布 「小さな部屋」  

だだだっ……と足音を立てて階段を上る。
 階下から母親の声が追いかけてきて、部屋に飛び込みドアを閉める事で振り切る。
 そして鍵をかけると、そのままベッドにダイブした。
 ぼふんっと勢い良く飛び込むとベッドのマットレスが私の体重を受け止め、ふかふかの羽毛布団と手触りのいい毛布が私の体を包んだ。
 その優しく私を包み込んでくれる手触りのいい毛布を抱き締め、頭から被ると体に巻き付ける。
 鍵をかけたドアの向こうでは母親が何かを言いながらドンドンッと叩いている音が毛布越しに鈍く聞こえてきた。
 だけど、その声とドアを叩く音はどんどんと遠くなり、私は毛布と共に旅に出る。

 小さな部屋の天井にある窓を大きく開き、毛布に包まった状態で私は空を飛ぶ。
 外の世界は広くて大きくて、そして、とても美しかった。
 昼は光に溢れ太陽の温もりが世界を覆い、溢れる。夜は静寂の中、無限に続くキラキラと輝く星と月。眼下に見える空へと延びる瑞々しい木々。地面を這う様に流れる小さな川に、人を容易く飲み込む程の大きな河。透明な水はてのひらから零れ落ち、世界に注がれる。
 毛布と共に飛び出した外の世界には、私の知らない事がたくさんあった。
 楽しい事、嬉しい事――幸せな事。
 そんな世界を旅するのだ。
 この肌触りのいい毛布と一緒に。いつだって、どこへだって。私が望みさえすれば、毛布は連れて行ってくれる。
 毛布が私にとっては友達であり、家族よりも家族であり、そして掛け替えのないパートナーだった。
 凍える様な寒い日は特に寄り添って温めてくれる。
 砂漠の夜だってこの毛布さえあれば、凍える事は無い。
 空を飛び、山を越え、川を渡る。
 月は廻り、陽は落ちる。
 何年も、何十年も、ひょっとしたら何百年も。
 この優しい毛布と一緒に私は旅をした。

 きっと私は、愛されて育っているのだろうと思う。
 小さな部屋だけど、そこにある家具や、身に着ける洋服。それらはとても立派な物だった。
 望めば大抵のものは用意してくれるし、まるでお姫様の様に扱ってくれる。
 だけどその中で、私はいつだって溺れそうなほどの息苦しさを感じていた。
 父や母たちが、見ているのは私では無い他の何かだった。
 そしてその何かとずっと比べ続けられる、私。
 外の世界を知ろうとすれば、いつだって怒られる。
 だから家の外に何があるのかなんて、知らなくて。
 私が知っている世界はこの小さな家の中と、その中でも更に屋根裏にあるこの小さな私の部屋だけ。
 親に入って欲しくない時は、この小さな部屋に鍵をかける。
 そしてベッドに飛び込むのだ。
 ふかふかの羽根布団と毛布が私の体ごと、感情も受け止めてくれるから。

 そして、今夜もまた優しい毛布と共に一緒に世界を旅する。

 ===

 画面に映し出されているモノを、溜息と共に見る。
 |彼《・》|女《・》はまた深い眠りについていた。
「彼女はまだ不安定だな」
 隣でカルテに症状を記入しながら、同僚がわたしと同じように溜息交じりでそう小さく口にする。
 それに苦笑をして見せて、モニターを切り替えた。
「……不安定にもなるでしょ。どこへも出られないんだから」
 この小さな屋敷の中だけなら好きに歩き回ってもいい。
 だけど、ここから外に出るのは禁じている。危険だから。
 その為すべての窓も外へ通じるドアも彼女には見えない形で封じている。
「まぁ、それもそうだな」
 また深く溜息を吐きながら同僚もそうわたしの言葉に同意し頷く。
「それにしても、かなり知恵がついてきている。鍵の代わりにロープを代用する事をどこで学んだんだ」
 先程眠りについた彼女の部屋から回収したロープを手にして同僚が肩を竦める。
 彼女には知識に繋がるような物――例えば本など――は与えていない。その他の物ならば望みがあれば極力叶えてあげるようにはしている。
 ストレスは彼女にとってとても良くないもの。
「彼女もずっと子供のままじゃないってことよ。わたしたちだってそうだったでしょ?」
 子供はその頭脳をフル回転して思いもしなかった行動を取る事が多い。どこで知ったんだ、と思える知識をいつの間にか蓄え、それを思わぬところで披露してくれる。
 大人とは違い柔軟な発想力を持つ子供は、そしていつだって大人を驚かせるのだ。
「まぁ、そうだな。それにしても……」
 また鬱陶しいくらい溜息を吐いて同僚が今モニターに映し出されている光景を見つめる。
 そこには夥しいほどの、赤、赤、赤。
 彼女が脱走しようとして止めきれなかった彼女の両親たちの墓場だ。
 そこにまた一体先程追加された。
「何匹殺せば安定するのかねぇ」
「さぁ? この屋敷から出られるまでじゃない?」
 同僚の言葉にそう投げやりな言葉を返せば、彼は反論することなく肩を軽く竦めた。
 そんな事は無理だとでも言うように。

 ===

 ふわりと毛布の端が私の頬を優しく撫でる様に触れる。
 そして零れ落ちた水滴をそこに吸い取り、ぎゅうと私を抱き締めてくれた。
 寝入った私を父さんと母さんがベッドの横に立って見つめてくれている。
 そしてそっと顔にかかっている毛布をどかせ、私の頬についている涙の痕を毛布と同じようにその指で擦ってくれた。
 この時ばかりは両親の愛情を感じる事が出来る。もっと優しく触れて欲しい。頭を撫でて欲しい。そんな欲求がまどろみの中、膨れ上がっていく。
 だけど、でも。
 酷く重い頭で考える。
 さっき、私は父さんを、壊したはず。
 じゃあこれは新しい父さん?
 視界が霞んで良く見えないけど、きっとそう。
 頬に触れていた手が、私の目尻を擦る。
 そしてぐいっとまるで無理矢理目を開かせる様にした後、そこになにか眩しい光を当て、私はくらくらした。
「うん。寝てる」
 何かを確かめた様にそう言うと父さんは私から離れていった。
 いや、いや。
 離れないで。
 もっと、触れて。
 撫でて。
 あいして。
 そう思い、腕を伸ばす。
 毛布の中から、にゅるり、と伸びたそれは父さんを絡め捕り、母さんはその横で驚いたような声を上げたあと、走り出した。
 部屋のドアへと。
 待って。母さん。置いていかないで。
 私、出たいの。
 そとへでたいの。かあさんといっしょに。
 母さんへも腕を伸ばす。
 何本かあるうちの腕のひとつが母さんへと伸び、そして、今度はちゃあんと母さんも捕らえられた。
 腕の中でキンキンする声が響く。
 だけど私の腕からは父さんだって、母さんだって逃げられない。
 いつもは力加減を間違えてしまうけど、今日はきっとだいじょうぶ。
 眠くて落ちてしまいそうな瞼を頑張って開けて、何人目かの父さんと母さんを見て私は微笑む。
「ずっと、いっしょ、に、い、よ」
 不明瞭な父さんと母さんが使う言葉を、一生懸命口にする。
 そんな私を見て、母さんは酷く驚いたような顔をして、父さんは何かを叫んでいた。

 そして私は、父さんと母さんと、すでに私と一体化している毛布と一緒に今度こそ本当の外の世界へ旅に出るのだ。
 二度と離れない様に取り込んで。

 歓喜に打ち震える私を、毛布はいつも以上に優しく包み込んでくれていた。

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