ある在米日本人のかたが、恐らくいま日本に住む人たちがこの正月、現状に対してそれぞれの意思表明を行っていることを揶揄する言及をされていました。
人のリアルな生活におけるリアルな観測範囲というものは案外狭いもので、いかに情報があふれようと、その範囲外になると理解度は著しく大雑把になり、ともすれば個々の実情は捨象され無かったことにされます。
そのかたは、米国に比して日本にいる人は一様に「安全地帯の傍観者」の括りなのだろうなと思うのですが、日本の地方の現場にいる立場としては首肯しがたいところです。
たしかに米国のように実弾が飛び交うようなことはないにしろ、この1年間でも本職で直に触れる地方政治や自治体の実態は、一皮むけば激しい少子高齢化による人材不足で10年前ですら考えられない、酷いケースではトランプ並みの「法令無視上等」な劣化ぶりが進行中ですし、心がけて顔を出して値札を見ている格安業販スーパーでは、特にお米の信じられない高騰ぶりに、太古の中学生のころ母子家庭で生活保護を受けていた身としてはぞっとする思い。やるかたのない絶望的な思いを抱えて店を出る人も少なからんと感じています。
自分の経験と想像力を総動員して、リアルな観測範囲の外をどこまでカバーできるかが、より問われる時代ではないかと思います。