難しいところですが、バネット゠ワイザーが「ポピュラー・フェミニズム」を論じたのと似た意味での「ポピュラー男性学」を名指していく必要はあるかな、と思っています。拙著(『新しい声を聞くぼくたち』)はそのような名付けはすることなくそれをすでに論じたのですが。もちろん、「男性学なんてポピュラーじゃないよ」という声もありそうだし、やり方によっては内ゲバっぽくなってしまってよくないのですが。それでも、ポピュラー男性学的な主体のヘゲモニーがどのような布置の中にあるのかは見すえていかなくてはいけないかなと。どれだけ人気が出なくても、ある種嫌われても、と。この次のフェーズの準備として、という感じです。(ポストフェミニズムについての議論も同じ。)