庵野秀明における官僚制という主題を、連載の先ではちゃんと考えたいのですが、映画史的な影響関係ということでは岡本喜八や市川崑をちゃんと検討しておきたいところ。(それで言うと、『東京2020オリンピック』も我慢して観ておかなければ……。)
それとは別にちょっと思ったのは、庵野秀明もセカイ系と結びつけられつつもどこかで官僚制(軍隊)に対する信というものがあったのが、新海誠にはまったくそういうものが与えられていないということなのですよね。仕方がないので一挙に神道やふんわり天皇制に跳躍するしかない。また、文春オンラインの拙論で書いたように「ダイジン」という症候的なキャラに託すことになる。
『すずめ』はそれこそ、自助が無理で共助を求めるのだけど、最終的にはそれでは間に合わないところに、公助が不在であり、その「穴」を父的なものが埋めるという図式なわけです。『シン・ゴジラ』の解決しないという結末の倫理が際立つ……。