@YoWatShiina 当事者が当事者からの職業差別に遭ってしまう、ということが、客や世間から受ける理不尽と並んで、わたしにとってはこの仕事をして最もつらいことのひとつです。
ですが、あの文章のように考える人にとっては、わたしのような者の言葉こそが過酷な職業差別そのものであるはず。恋人や夫でない人とセックスしても(対価や安全面などの条件に納得していれば)心が傷つくわけでなく、ただ条件の向上を求める女性、というもの自体が、セックスワーカー差別を温存し、女性差別の解消を強力に阻んでいるように感じられるのではないかと思います。それで「慣らされた人」と呼んでしまうのかな、と思ったりします。
わたしに関していえば、金銭を介した性的コミュニケーションのちょっとした力を信じているような部分もあって、仕事の中であったよさや面白みについても書いてきてしまっているので、一部の人に憎まれている自覚はあります。「肉屋を支持する豚」や、酷いときは「女衒の手先」と呼ばれたこともあります。
@YoWatShiina 「当事者」たちが語る言葉を持てば持つほど、この苦しみは、溝は、深まりあう一方ではないかと思い、途方に暮れるときがあります。どうしていいかは、たぶんこの先もずっとわかりません。
それでもわたしは「仕事として最低限の敬意と安全をくれ」と言っていくとは思います。いまは(主にTwitterで受けたダメージによって…)見失っていますが、自分の言葉で語れる場所を求めてもいるなと思います。
その語りを不本意な形(当事者が仕事だと言っているんだからいいだろう、とか、仕事だと言うなら我慢しろ、とか)で利用されないためにどうしたらいいのか、また、どんなに考えようとやはり多かれ少なかれ利用されてしまうということに、ずっと悩み続けることになるのでしょうが……。
突然このようなやりとりを発生させて申し訳なく思いつつ、でも、お返事をくださってありがとうございました。