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NHK BSプレミアム「ナンシー関のいた17年」
放送当時、話題になっててちょっとだけ見た気がするのですが、改めてフルで見ました

www2.nhk.or.jp/archives/movies

テレビコラムニストという肩書きでここまでの隆盛を誇ったのはテレビ自体の黄金期プラス、バブル期前後の出版業界が経済的に余裕があったからこその偉業だと思います

今彼女のようなカリスマ性を執筆のみで成立させるのは、やはりネット社会での読者のダイレクトな反応と、王手メディアのスポンサーへの配慮などを含んだ広告ブランディング等の要素を包括しないと難しいので、実際生きていたらどうだったんだろうなとは思います 
そら自体よく語られる事ですが

あと、やっている事は純粋批評的な事ではあるのだけど、それが業界内から支持されてひとつの視座としてその時代の漠然とした価値基準と融合してゆく(ここら辺は昨今の「冷笑」という言葉の語られ方とかと混ぜれそうな話題ですが、というか実際混ぜられて語られがちですが、それは今は置いておいて…)そういう流れがあったと思っているのだけど、

自分が今回見て思ったのは、
このドラマの雰囲気こそがナンシー関が批評していた面白いポイントだったのだろうし、あと
そこに出てくる実際当時を知る人(いとうせいこう、リリーフランキー、デーブスペクター)のインタビューで喋ってる姿が、年月を重ねてるからというのもありますが、「なんか、こんな感じで神輿を担いだんだなぁ…」といった舌触りがあって、それが新鮮でした

なんというか、もはや現代の視点から見るナンシー関さんは伝説化してて神格化しててその初期段階の雰囲気ってこのドラマを見てるだけではキチンとは捉えにくいし、

ものすごく審美眼を持った批評家、物書きとしてテレビ業界や出版業界などの空気には完全に染まらず立ち位置としてそれらからは独立した存在になってるんだけど、

実際に語ってるいとうせいこうやリリーフランキーの他の媒体での活動や、本人たちが触媒してゆくための術を語っている話などある程度見聞きすると、ナンシー関って

すごく、あの時代の
「サブカル」から出てきた人なんだなぁ…

と感じられます

ちょっと根本的にだし、冷めるような事を言うと、

「“これ”を、『面白い(すごい)』と言ってみる」

という面白さというか…

みうらじゅんの「ゆるキャラ」とか「冷マ」とか、
タモリ倶楽部でうまい棒で30分やって「これは教養的だ」と言ってみるムーブとか

そういうものが、ナンシー関という山の1番ふもとの第一歩目には立ち込められてて、それを本人も身近な周囲も踏まえて山頂まで登っていった歩みなんだろうな…と感じました(本人もコラムで「これは芸である」と言ってるのはそういう事なんだろうし、そう考えて改めて読んでみると文体口調も批評家に寄せているのがわかります)

今だと
オモコロライターで元々はTwitterのおもしろい人として有名になっていたダ•ヴィンチ•恐山さんに小説の執筆をやらせてみるとか、

元々は「AVを面白く見よう」みたいなブログ記事を書いてた雨穴さんにホラー小説を書かせて「変な家」を映画としてヒットさせてしまうとか、

サブカル的な文脈の「あえて」が、かなり成功して職業批評家に擬態できてしまったパターンの一例がナンシー関なんだと思いました

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