面白かったです。
ギース尾関さんは「クズ」というより「変り者」だと思う。
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すごく語弊のある言い方になってしまうのだけど、元々厳格な宗教家のうちに生まれ育った事とかが関係してる気がします。

なんというか、「開き直る」ポイントがいわゆる一般的なクズ芸人より前提段階で確信犯性を持って実行されている感触があります。

単純に言えば
「バレても別にいいと思ってる」感がある。

あんまり言い訳してない
なんなら精神的な自己弁護をしていない
自分の心の中でも言い訳してないといいますか
芸人のトークとしていじられてるから返している、ぐらいの定型業務感がある

なのでちょっとサイコパスっぽさが生じているのですが、厳密にはそういう冷めた人間性なわけでもなくて

「人間関係」や「社会性」みたいなものへの"虚空意識"的なものが強いのだと思う

それが元々は熱心な宗教家だった

というところに繋がってそう

なんか尾関さんのクズエピソードには「解放性」が感じられるのです。
(もちろん、経済的に追い詰められてたり、仲間内で責められてたりはするも思うのですが、そもそものそれに至る行動への罪悪感がやや薄いんだと思う)

なのでクズというより、尾関さんの中での常識で「セーフ」だからそういう動きをしている、というような思考回路なんだと感じます。

この動画の終盤辺りで「反動でこうなってる」と語ってて、なるほどと思ったりしました。

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鈴木もぐらさんのような、根本的な家庭環境の経済的困窮によって掲載されたクズキャラとも違うし、

岡野陽一さんのような、芸人になってからの借金とそれをピン芸人として話芸に昇華する事で根の怠惰を許容させてるわけでもないし、

マミィ酒井さんなような、むしろ実家が裕福でだけども学生時代にいじめられてた事などが影響してて人柄としての愛玩性に乗っ取った甘え上手とも違い、

コロチキナダルさんなような行ききったおおらかな天然をキャラとして自覚し使いこなそうとしつつも失礼な言動行動を悪気なく働いてしまうという感じとも異なります。

なんか尾関さんは、どこまで行っても自分の事を本質的には「クズと思っていない」
というか「クズでも別にいいし、クズとかクズじゃないとかあんまり興味がない」
みたいな感触を覚えます。

なので、他のクズ芸人と違って
広島カープ好きや、怪獣好き、キャラ弁作りなど、そういうややキャッチーな要素を能動的に芸人として押している、という特徴があります。
むしろクズが邪魔になりそうな範囲の仕事を自分から打ち出している。

そこら辺に尾関さんの浮世離れ感がある気がします。
クズに対して距離がある。

フォロー

そういった事から朧気に感じるのは、クズという概念はそれに裏打ちされた常識がまず存在してて、それを破る行為の事を指していて、

その常識という名の信仰心がそもそも無い、
その外側に居る存在に対しては無効なんだなと思います。

逆を言えば、尾関さんのこういうエピソードとそれを周りにいじられて出来上がってるキャラクター像って、ある種芸人としての自覚を感じもします。

なんなら、相方である高佐さんの方が、いわゆる「お笑い芸人として」という宗教の熱心な信者感を覚える。

高佐さんの自意識の強さから規定される振る舞い、それの反動によって尾関さんのクズキャラ的なものをいじられる事への許容と能動って拍車が掛かっていったような気もします。
ギースのイメージとしては、それって身に付けなくてもいいんじゃないか と尾関さんが思ってた時期もあるはずです。

若干の切羽詰まってる感によって尾関さんのムーヴって生まれてる気もするので。

その要因は高佐さんの空気感が震源地になってる雰囲気を時たま感じます。

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