ビートたけしが浅草からテレビの世界に出てきて、今映画監督として大成しているのが、時代と主要メディア転換の流動に身を置こうとしたんじゃないかなぁ…という心情が感じられて良いなと思います。世代的な共有はしていないし、なんとなくの憶測で言葉にしているのですが。
もしかしたら、浅い視座に聞こえるかもしれないのですが、YouTuberが有名になってテレビに出ようとしてゆく運動に近いものを感じています。
かつての映画館の立ち位置は、
劇場舞台に対しての新規メディアだっただろうし、
その映画館も新規メディアとしてテレビが表れた時に旧態的な立ち位置に移行したのだろうし、
そして、そのテレビも新規メディアとしてのネットが表れた段階でゆっくりと立ち位置が世代交代を成されていったのだと、
ざっくりとそういう認識でいいんじゃないかなと思っています。
劇場(旧態)→テレビ(新規)→映画(中間領域)
みたいな着地点にビートたけしさんは狙って動いていたとも勝手ながら想像しちゃいます。
そういった天下人の現時点の生息地としての主要メディアを見てると面白いです。
松本人志がドキュメンタルをAmazonプライムでやってたり、
さまぁ~ずがYouTubeにけっこう力を入れてたり、
メディアとその中心時代性を感じます。
すごく雑に言うと
ショーパブ(旧態)→半テレビ半ネット(新規)→
メディア連動配信イベント(中間領域)
みたいな感じ。
ぼんやりとした感覚で、もう少し詳しく説明してみようと思うのですが、「"モノマネ"ショーパブ」という原風景がどういう影響をオードリーに与えているのか、勝手ながら想像してみると、
なんかそこにやはり「擬似芸能界性」みたいな情報伝達が介在している気がしてて、
前述のビートたけしと比較すると、
「映画館」が「舞台芸能を中心とする興行」の土台の上に映像と客席をシンクロさせる事に成功していた場所として、そこを飛び越えて「テレビ」という映画館2.0的な断層に飛び上がってるような感覚を覚えるのに対し
「モノマネショーパブ(の"モノマネ"部分)」が
「テレビを土台としたタレントの芸能界」の土台の上に共同幻想と客席(出張的なお茶の間とも言える。たぶんこれはキャバクラとかホスト、コンカフェ的な飲食接客業とかとも関連してる。それな半テレビと捉えられるゆえん)をシンクロさせて無数に枝葉が分かれていた分裂的な場所から、それを飛び越えて"春日"という擬似的な大物を作り出してそれを悪ノリ含めて面白がる「半ネット」的な地点までも突き刺さらせれたところが、若林さんの所業に感じています。
春日というキャラの共同幻想性は、
ショーパブ2.0。
そこに言語化されてない主要メディアがあって介在してたんじゃないかなと思っています。