で、それ自体が佐久間さんの嗜好と魅力に直結してるとも言いますか、
簡単に言えば
「変態」的な面白さ、となってる。
ゴッドタンというバラエティ番組の仕組みがそうなのですが、芸人さんの追い込み方が、かなり内省に迫ってて、その意識を汲み取った上で、周辺環境を整えてゆく、という企画の組み立てを行ってるんです。
それって、
「イメクラ」っぽい。
品の無い例えなのですが、わかりやすいと思うので、そのまま話を進めてみると、ゴッドタン的なお笑いのあり方は、風俗店における「疑似恋愛」的な骨組みをしていると感じてまして、
とゆーか、実際問題として、メディアを媒介した産業は、全部、共同幻想的な代物であることは免れなく、特にエンタメの中でもバラエティは「おもしろい嘘」である事が前提で楽しまれているのは言わずもがな、
それを踏まえた上で、ゴッドタンは
「『コント師』が行う『即興トーク』」
に特に比重がある企画構造なのだと思うんです。
なので、それって「~てい」が強いし「あえて」も強いから、裏笑い的になる。それを状態化させる運動がある。
「『形式』によって際立つ『エロス』」
みたいな構造に極めて近い。
佐久間さんの面白さの根幹部分は
「『自分で自分をいじっている』
という状態の、『俺』を見ろ」
みたいな、欲求によって形を成しているものだと感じます。
その営み自体は、
"一人(自己内省)" で成立する代物なのだけど
それを"見てもらう他者"が必要ではある。
ただ、その他者を形式や構造で、ある程度自ら意識的に作り出しちゃったり、他者をコントロールしようとしちゃってたりしている(実際、それが予期せぬ反応やプレイ環境に繋がったとしても、関係はない。その外圧自体が自己内省への刺激に繋がってゆくだけだから)
という面白さなのだと感じています。
「キス我慢」も「マジ歌」も「あちこちオードリー」も「トークサバイバー」も「ナミダメ」も、全部自己内省の発露へ向かう環境設定が、基本的な骨組み。
「ママチャリ王選手権」も、他のマニアックさと比べると、身近かつ自家発電的な面白さだなぁ…とも感じます。要は、ずっと縛りプレイ的。
なので
「いじられる裏方」として演者化
してるけど
同時に
「佐久間をどう弄るか」という企画を
芸人や採用するスタッフに強いてる
というプロデューサー的な仕事の延長線上の状態でもある。
これって、今までも居るには居て
「コラムニスト」という肩書きでコメンテーターの仕事をし、そのままバラエティの司会業に軸足を移していったマツコ・デラックスとか
「掲示板の有名コテハン」から、自分で運営をし始めて、その領域で、ネットの人として名を上げたのちに、そのスタンスのままオールドメディアに出ていった元2ちゃんねる管理人ひろゆきとか
と基本的には一緒の「裏方」のタレント化ではあるのですが、佐久間さんの場合は、その横断幕がかなり薄い、元々が舞台袖に近距離のポジションだったから、そもそも「タレント」的な磁場が強い立ち位置なので、その変換も含めて自己コントロール感が高い数値なのだと思います。
なので個人的に
佐久間さんを「芸人」だと思って見ています。
「芸人じゃないフリ」のレベルがめちゃくちゃ高い「芸人」だと思って見ると、その面白さの濃度がしびれる程に凝縮してきます。実は、やってる内容的に炎上とかとも結構、隣合わせでスリリングな芸風だと思う。
他のどの有名バラエティプロデューサーとも違ってて面白いです。