聞けなかった 南京の体験 沖縄戦重ね、証言たどる<戦世ぬ沖縄・戦後80年>2 - 琉球新報デジタル https://ryukyushimpo.jp/news/national/entry-3755235.html
“日中戦争から太平洋戦争に突入し、米軍のサイパン占領で日本の敗戦が決定的となった直後の44年8月、沖縄の32軍に牛島満司令官が着任した。「現地物資を活用し、一木一草といえども戦力化すべし」。こう訓示し、戦闘準備を加速させていく。
南京侵攻で、日本軍は補給が十分になかったため「現地自活」の方針をとり、食料の略奪や殺害を繰り返した。およそ7年後の沖縄でも“現地物資の活用”が示され、物や人の根こそぎ動員は繰り返されていった。”