越境行為 日本人は代弁できず 沖縄人が「沖縄の運動」決定 池田緑<ポジショナリティからみる沖縄と日本>4 - 琉球新報デジタル https://ryukyushimpo.jp/news/culture/entry-3581082.html
“「私たち」とは、誰を指しているのでしょうか。説明者(日本人)のポジショナリティを考えると、ポジショナリティにかかわる論点は大きく三つあります。ひとつはポジショナリティに無頓着になると、日本人があたかも沖縄人になり代ったような言動をとってしまう可能性です。日本人は「沖縄の運動」を代表して語る位置(ポジション)にありません。なぜなら、そのような運動が必要となる状況を作りだし、利益を得ている存在だからです。日本人が沖縄人に課している基地負担に対して、どのように「沖縄の運動」を組み立てるのかは、沖縄人が語り、決める問題です。日本人は受益者というポジショナリティにあるのですから、その決定に主体的にかかわるのはフェアではなく、資格も欠いています。日本人が「沖縄の運動」を代表・代弁することは越境(越権)行為であり、沖縄人の言葉を奪うものです。”
再三に渡って指摘され続けていることですが、ヤマトルーツのマジョリティは琉球・沖縄県に対し入植加害と負担の強制をし、利益を得ています。
第三者ヅラのジャッジや評価を私は憎みます。
このことは私も常に行う可能性が死ぬまで在ることだとは付記します。
選挙や島耕作のことで、「リベラル」風のヤマトルーツ(と思われるもの)の「放言」を見ることが増えています。
琉球・沖縄県が「日中どちらに“属する”か」や、オール沖縄への評価など、こと和人は琉球・沖縄県の自己決定権を奪っている側です。
まして琉球・沖縄県ルーツのアイデンティティについてなど、軽々に上から目線で語りかけてよいとは私は考えません。
https://ryukyushimpo.jp/news/culture/entry-3497836.html
“「おまえがいうか!=棚上げ」問題を考えたいと思います。
知念ウシさんは、「もっとも精神的にしんどいのは、沖縄人警察官や機動隊員に向かって日本人(やまとぅんちゅ)が激しい怒りの悪態の言葉を吐いているのを聞かされること」という、反基地運動を行っている女性グループのメンバーの言葉を紹介しています(知念ほか『沖縄、脱植民地への胎動』44頁)。”