それでもエスニックマイノリティとして、生まれ育った場所や民族性で揺らがされることは私はない。おそらく今後もない。その特権性よ。
和人が和人のために気持ちよくなれるような記者もアーティストも映画も全部うんざりだ。私でもそうなのだ、「通じない」と思うし、「うるさくて面倒くさい奴って思われてるんだろうなー……」と感じるのだ。
それが琉球、沖縄県ルーツのクィアならどれほどのことか、どれほどの怒りと呪いと苦しみを伴うだろうか。ずっと溺れさせられているようなものなんじゃないのか。そうさせているのは自分たち和人が元凶である。
琉球、沖縄県ルーツの「複雑さ」は本当に途方もない。連れの弁を借りれば、ひとつの「小さな島」が、そこまでの複雑さを抱え、ずっと振り回され揺らがされ、尊厳を削られていることの不平等性を、和人が消費や利用や美化せずに言い続けることについて何度でも考えている。
これ、ものすごいだめな文章書いてて、“ひとつの「小さな島」”って言い方だと、「沖縄本島」以外の島々を周縁化してしまっている。
文脈としては「本島」出身の連れの話をしているにせよ、“ひとつ”なんてまとめてしまってはいけないし、せめて「小さな島々」と言うべきだった。
日頃なるべく「沖縄」と言わずに「沖縄県」と言うようにしているのは「本島」以外の諸島も含めているという意味だからだのに、こんな言い方をしてはいけなかった。のに、してしまった。反省いたします。