New Jeansの1st EPを聴いたとき、現在的な意味での「エモい」というのは、情報が加速することで失われたものへの憧れであり、逃避的な感情なんだろうと感じたのだが、Ditto、Zeroと経て、クラブミュージックの各ジャンルを、そのままエモさの果てに消し去ってしまいそうで、そのスピードの空疎さが恐ろしくもあり、魅力でもあるんだろうなと思う。
そう思うと、ズバ抜けて洗練されてるサウンドだけが、誰もいないクラブで人やモノに吸収されることもなく一層クリアに響くさまを幻視するほどに際立つようにも思えてくる……
MVの不穏さも、なんとなく亡霊っぽいんだよな。