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"一九七二年七月に首相となった田中(角栄)は、すぐさま一九七三年度予算の編成に際して
の無償化や五万円年金の実施などを盛り込み、「福祉元年宣言」をした。これは持論である農
部の工業化や新幹線を軸とする高速交通網の整備などの地方開発を集約した『日本列島改造
論』のような開発主義だけでは都市部の支持層を得られない、と考えた田中の戦略であった。
しかし、「福祉元年」になるはずだった一九七三年一〇月には第四次中東戦争による石油危
機が起こり、右肩上がりの日本経済に暗雲がたちこめ、景気は停滞、税収が伸び悩んだことか
ら以降、社会保障費拡充が困難になったのである。ここに国家に依存しない日本型福祉社会論が台頭してくるのである。"(安藤優子 自民党の女性認識「イエ中心主義」の政治指向 p.54〜55)

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