大越愛子『懺悔の値うちもない』(小森陽一/高橋哲哉編 ナショナル・ヒストリーを超えて 収録)。痛烈な加藤典洋批判となっている。
"「悪の自覚」から出発する一見誠実な「語り口」は、国家の悪に対して、それを外面から告発せずに、それを自らの内面に引きつけ、結果的に国家の悪を肯定してしまう。(…)矛盾を社会問題とは決してせずに、内面的問題に引き込み、その矛盾がもたらす悪を内的に自覚する者こそが深い立場にあると自己肯定を行う(…)このトリックの最大の問題は、生じた悪の被害者に直面することを回避し、自分たちに都合のよい物語を捏造して、自足するところにある。"(p.137)
みんな欺瞞の中を生きているんだ、汚れているんだと居直り、自分たちが感じている後ろめたさを癒す。そして、苦難の中なお正義を志向する人々を矛盾に向き合っていないと冷笑さえするのである。彼らは悪の自覚だけに留まり、被害者と向き合おうとしない。