政治学徒くずれ、かつ、少年時代は柘植久慶愛読者だった身としては、「殺意」とは希少資源の配分過程において自分が利益を得る(不利益を得る可能性を排除する)ために他のアクターを退場させる願望であり、あるいは、他者が危害を加えてくる可能性をゼロにして安全を確実にする願望のことだと解釈しているのだが、どうも多く人にとっては未来より過去のことが重要っぽい気がしてきた。まあ「こいつを生かしておいたら世の中のためにならん」と思うこともあるが、それも過去ではないし。過去は何をしても変わらんのだが。ましてや自分の記憶は。