在日「朝鮮人」という言葉がなぜ残っているのか(一つの国だったということを)知らない人も多い。 私もちゃんと知ったのは大人になってからだし義務教育では「統治してた時代がありました」くらいしかなぞらない。 逆に言えば知りもしないでなぜ差別できるのか、ということ。
基本的に日本の同化政策ってずっと「言葉(文化)を奪うこと」が念頭に置かれているのだな、と思う。 生活のために現地の言葉を覚えることは必要だけど、その人のアイデンティティを支える言葉(母国語、親のルーツの言語)を一緒に育てているところは外国人学校以外、ほぼない。
外国語で話す人は「外の人」と見做すくせに平気で「○○語喋ってみてー」とか言う。 これは関東圏にずっと住んでるから分かるけど地方から転校して来た子に「○○弁喋ってみてー」ということが子供時代多々あったし、自分も悪気無くしてた。同じことだと思う。今は反省している。
こちらは沖永良部島の子ども達の戦中、戦後(米軍統治下〜復帰後)の暮らしを描いた小説。 復帰後、島の言葉を使うと方言札が首にかけられ島の言葉が奪われていく様が垣間見えます。奄美地方で言語採集や研究をしている先生も協力していてフィクションながら知る事が多いです
https://t.co/unxACZDADn
昨日は光州の日だったか、と思って過去🐦を引っ張り出してて見つけた自スレッド。
今も変わらず必要だと思ったのでこちらに流しました。
https://twitter.com/satomuch/status/1493063275973865476?s=20
奪っておいて消費する。差別しながら消費する。相手を尊重しないのに見返りは求める。 知らないこと、知ろうともしないこと、事実や史実を認めないこと。いい加減、大人がやめないか、と思う。
日本はとっくの昔から移民国家だし、移民や海外ルーツの人たちの数だけ、言葉も文化もある。日本にいながらあちこちの国の料理を食べれることだってそう。とても豊かである。 でも人の卑しさがその豊かさを毀損する。
誰にでも差別心はあって(私にも)、ずっとそれとともに生きてかなきゃいけないことだと思うけど、誰にでもあるからしていいというものではない。 それを「タブーを破る本音を言ってくれた」と持ち上げてはいけない。差別しないと「自分」を維持できない自分の内に問題があると思う。
結論はない。