人権が軸にないから全てがブレてくるというのが分かった。思いやりや配慮にすり替えられるから各人のお気持ちも入ってきてしまう。揺るがないものが無いから情緒に流れる。一人一国と思って旗立てて生きて生きていくような感じで行けたら簡単に他人(他国)を侵犯できない。みんな一人ひとり独立国。
私は私がいていいように誰もいていい、と思っているけど、それがなんでこうも難しいのかと思うと、「私」の前に「みんな(私たち)」ってぼんやりしたものがある人が多いのかなと思う。そんなぼんやりしたものに身を委ねて他人の領域を侵犯するのアホらしいし、ぼんやりしたものの中に埋もれさせてしまう「私」が可哀想だと思う。