それで思い出したのが、年始を迎える際のゼレンスキー大統領のメッセージ。
(以下引用)
戦争では、一人一人が大切だ。
手に武器を持つ者、自動車のハンドルを握る者、船の操舵輪を回す者、飛行機を操縦する者、メスを握る者、指示棒を握る者一人一人だ。
ノートブックを使う者、コンバインを操縦する者、電車を運転する者。
検問所に立つ者、発電所で働く者。
記者、外交官、公共サービス従事者、救助隊員。
働く者皆だ。大学や学校で学ぶ者もだ。歩くことを学び始めた者すらもだ。
それら全てが、彼らのため、私たちの子供、私たちの人々、私たちの国ためなのだ。
大戦争には、些細な事などない。不必要なことなどない。私たち一人一人が戦士だ。私たち一人一人が前線だ。私たち一人一人が防衛基盤だ。
(引用終わり)
こちらは非暴力運動ではなく本当の戦争だけれども、こういうメッセージを発せられる人がいること、それを受け止める人がいること、それがウクライナがモチベーションを継続できるところでもあるのかなと思った。
(継続できてしまうから戦争が終わらないんじゃないか、とかは不要。継続を諦めたら終わりの人たちに戦うなというのは傲慢。)
たとえ建前だとしてもね、こういう語りかけは日本の政治家も運動体もしてこなかったと思う。このメッセージの「戦争」を「社会」という言葉に置き換えたら普遍的であることがわかると思う。