少し前にアジア人が欧州で投げかけられる差別語「チンチャンチョン」(中国語を揶揄したものだが)が、ドイツのサッカー解説番組で発せられて問題になっていたが、この語呂って、トゥーランドットのピン・パン・ポンという3名の大臣の役柄名にも影響してるんぢゃないのかなぁ、、、滑稽さを伴っていることからいっても、、、(その意味で、日本のピンポンパンって番組名ちょっとぎりぎりだよね、と思わないでもないw
#音楽

これはもう大昔になるのですが,この ching chong chang に関して,こんなことを書いたことがありました:fuchino.ddo.jp/barcelona.html# ching chang chong に関する言及はこの post の最後の方ですが.

今の日本人にとってはこの頃よりずっと遭遇する単語なのかもしれません(個人的には、歯ごたえこのスレッドの更にあとにある、バナッハ=タルスキの定理の話や、「ロジカル・ディレンマ」の話の方が興味深かったです…

差別は人間の本能行動なので,それが,「自分達と違う種族」への揶揄のような形で小出しに発散しているのか,それともそのような揶揄が増えているのは,実はホロコーストのような,この本能行動の爆発の前触れなのかは,いずれにしても見極める必要があるでしょう.

一つ前の toot で,「ホロコーストのような,本能行動の爆発」と書きましたが,こう書くと,異和感が感じられるかもしれません.第三帝国でのホロコーストは,少なくともその実現に関しては,非常に綿密に管理された大量虐殺やそれに至る抑圧や集団移送のシステムが伴っていたわけなので.これを,「本能行動」という言葉に結びつけるのは適当に思えない,かもしれないからです.

しかし,理性に上層構造として本能を乗せることができるように,本能に上層構造として理性的なシステムを乗せることもできて,ここで言っているのは,後者のパターンの発露,ということができるのではないでしょうか.近代戦争も,そこで投入されるハイテク殺人装置や,クールな戦略理論などにも拘わらず,それを下層構造として支えているのは,多分,石器時代からそれほど変化のない本能行動だろう,というのは,今の戦争を見ていても思われることの一つです.

ここで言っている「本能行動」は,個々の個体の gene に何等かの形でコードされている本能の集積として,群 (むれ) に出現する本能行動のことなわけですが, の,この本能行動が非常に安定していて,時代や歴史や民族の壁を超えて同じような形で実現されている,というのは,考えてみると,とても不思議なことに思えます.

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