LGBTQであることを家族に言えないのは大切な人の反応が怖いから。私にとって家族や親せきは残念ながら安心して話せる相手ではない。人生初のヘイターにはしたくなかったし何より悲しい顔を見る自信がなかった。
では琉球ルーツアイデンティティを家族と共有できているかと言えばそれも出来ていない。日本人より「日本人」らしく、日本人と同等の学力を持てるよう教育された親や、沖縄人として劣等感を内面化する家族・親戚に琉球民族などと唐突に言えばどんな顔をするか想像するだけで鬱々としてしまう。
リベラルや反差別を標榜する沖縄人でさえ先住民族の権利を訴える極々少数の者を「ナショナリスト」とレッテルをはるこの状況を見ていれば、今の沖縄はゲイであることよりも琉球民族であることをカミングアウトするほうがよっぽど困難だ。
同化政策についてたびたび言及しているが、それは日本人に同化するだけではなく異性愛者に同化するという意味も含まれている。マイノリティの苦しみは似ている点と異なる点が混在しており、それをマジョリティの立場から被害が多い・少ない、軽い・重いなどと自分の知っている範囲だけで比較するのは加害行為に等しい。
かわいそうだから差別に反対、嫌いだから無視、のように主観ベースだと比較が必須となり対立の原因を作るのでやめてほしい。