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1971年に国会爆竹事件を起こした「沖縄青年同盟」の一人、本村紀夫氏が亡くなった。

佐藤栄作首相が沖縄返還について「これまでの歴史にない最も好ましい解決を見た」と誇った直後に爆竹をならした有名な事件は、後の裁判で日本語を話せと強要する裁判官に沖縄語・宮古語で話し続けたという沖縄人にとって小気味良いエピソードがある。沖縄が日本ならなぜ沖縄語がわからないのだ、皮肉なやり取りは日本と沖縄の違いを明確にし、問題の核心をつく。

「沖縄の人が沖縄のことをしっかり考えれば、沖縄は変わる」
本村氏の残した言葉に向き合い自分の足下を掘り続けよう。

日本人も沖縄掘ってないで日本掘ってください。

ryukyushimpo.jp/news/entry-151

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