アイヌの方に「アイヌはアイヌ語で『人間』という意味なんですよ」と教えてもらったことがある。聞くところによると世界の少数民族の民族名はその民族の言葉で「人間」を表すことが多いらしい。
日本や米国のような支配してきた国の言葉を支配されてきた人びとが(強制され)使うとき、必ずしも同じ意味で使っているとは限らない。どの言語にも言えるけど全く同じように訳すのは不可能だ。
支配してきた国には争いに関する言葉がたくさんあり、支配されてきた人びとの言葉に直接訳せる事が少ないと聞く。
言語と文化は密接に繋がっていて、だからこそウチナーンチュの話す「日本語」は時折ヘイトの的にされる。文化と密接しておらず、精神面と一致させきれない日本語を正しく使える日が来るとは思えない。
戦争体験者は自分の言語で語ることでしかより正確なその人の「語り」ができない。言葉を奪うのは歴史もろとも奪うとも言える。
空を指し天国とする人びとと、海の向こうにニライカナイを信じる水平思考の民族が言葉を共通させたところでわかりあえるなど互いのリスペクトがなければあり得ない。
歴史・文化・価値観が違う人の使う「日本語」が日本人の使う日本語と同じになるとは限らないのです。