もうひとつには、処理水放出の時のことを政府は反省していないのか、という点も大きくあります。
IAEAの御神託のおかげでうまくいった、などという戯言を抜かす人たちもいますが、それは捨て置きます。
当初、当時の菅総理が2020年10月に処理水放出を決定しようとしていた時、あの状態で放出を実際に決定していたら、状況ははるかに悲惨なことになっていたはずです。
その後、大慌てで漁業者への説明をはじめ、漁業振興策などの支援案を引き換えに、なんとか格好をつけ、漁業者側は苦渋の決断を行うという流れになりましたが、事前のそういった交渉がなければ、修復不能なまでにこじれていたはずです。
にもかかわらず、内堀さんが言っていたのは、「政府のいうことに従え」だけでした。
内堀県庁が処理水放出を推進する一方、調整においてはなんの役にも立っていなかったことは関係者には周知のことだったと思います。「県庁、なにやってんの?」というのは、一般レベルだけでなく、関係者レベルでも広く言われていたことでした。
大日本帝国設立時の陸軍大将であった会津人柴五郎の日記『ある明治人の記録』は、私の座右の書のひとつですが、柴五郎が日本人を評した「自惚れ屋のお調子者」は、実に正鵠を得ていると思います。
処理水放出がたまたまうまくいったから、復興予算が多くあったから、それだけで、自惚れて調子にのって、手のつけようがなくなるほど増長してしまう。
いいかげんになさったほうがよろしいです。