福島の場合は、みな、「復興のために」で思考停止をして、なにも考えなくなってしまうのが、ここまで政策が劣化した大きな理由だと思います。
「福島復興のために」と言いさえすれば、めちゃくちゃなお金の使い方でも、愚かしいとしか思えない政策でも、なんの進歩も思慮もない昭和逆戻りの施策でも、女性無視でも、既得権益の男性高齢者だけで物事を決めていても、誰もなにも言わなくなってしまう。
これが「国策」となった福島復興の不幸だとも思います。
日本のあらゆる国策がやがて失敗に終わるのは、この無批判性に安住してしまうところが大きいのだと今は思っています。