それにしても後鳥羽上皇と定家の感情的な別れ、本当に史実か?と思うくらいのタイミングですごい。承久の乱の直前、おそらくは鬱積していた定家の不満とそれをうすうす感じ取っていた後鳥羽上皇の間の不穏な空気があり、定家の詠んだ何気ない歌によって亀裂が生じた。その歌も何がそんなに後鳥羽上皇を怒らせたのか誰にも判然としない。後鳥羽上皇が勅命で持っていった定家の庭の柳を当て擦っただとか、菅原道真の歌を本歌取りしたからだとか、一応の説明はあるけれど。そして定家は歌人としての謹慎を命じられ歌会関係に出入りできなくなり、そのまま承久の乱に突入して、後鳥羽上皇とはそれっきり。