江戸時代に、伊能忠敬のように「日本の正確な地図を作りたい」「地球の正確な大きさが知りたい」などといった実用的な側面から「円周率」などの計算を延々とするといった所業は凡人の私にも理解しやすい行為である。
その一方、ただただ学術的・形而上的な興味関心から延々と円周率を計算し続ける人がいる。その凄さといったら他にないな。私には、その行為自体理解し難いが、学問というものは実生活にとって何の役に立たなくても存在するべきものなのだろうと思ってみたり。
かと言って、凡人たる私には理解し難いその行為が、ある一定以上の知識人にとって何某か、社会の役に立つものになって行ったりするのだから、本当に不思議だ。