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やっぱり「モービウス」 

超人的な力をワクワクするものとして描くスーパーヒーロー映画の文法から抜けられてない&モービウスとマイロの病気を(おそらく単に見た目のわかりやすさのために)身体的不自由として描いたから問題がややこしくなるんですよ。

生涯に渡って身体的自由がなかった人にとって、たとえどんな代償を払おうと「ヒーローみたいに超人的に動けるパワー」はまさに夢みたいなものじゃないですか。いくらモービウスがこれはcurse(呪い)だと言おうが、動ける!生きられる!ってことが喜びであることを認めないわけにはいかないでしょ。しかも映画自体がそこをエキサイティングな部分として描いてるわけだから。
ただそのための代償が大きすぎる…という倫理的葛藤はあるにしろ、まずは認めないとはじまらないし、その喜びを自分だけ享受してマイロには与えないことの倫理的葛藤だってあるはずですよ。

こういう心理を描く気がないなら、超人的な力をヒーロー的なものではなくもっとおどろおどろしくホラー的なもの=呪いそのものとして描くべきで、それだったら整合性はとれるんですよ。整合性?なにそれおいしいの?

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