所感つづき。
たとえばAxBの話型だとBがよく不安になったり傷ついたりするけどそれは「Aの不誠実なor鈍感な行動のせい」だし、セックスですら「求めてくるAのせい」であってBはそれに翻弄されているだけ、みたいなのが有責性の偏りで、私は典型的な左右ってこれじゃないかという気がする。セックスでどっちが挿入するか、というのはけっきょく有責性を形にして表してるだけだと思うんですよね。
でも現実的に考えるとすべての責任を一方が持つような関係って長続きするわけがないわけで、上記のようなきわめて典型的な話型ってリレーションシップを描くのに向いてない気がする…みたいな所感はずっとある。結局のところわれわれが求めている究極のファンタジーって、素晴らしいリレーションシップを持つことではなく、すべての責任から解放されて全部誰かのせいにしたいってことなんだろうか。