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今読んでる吉川浩満『理不尽な進化』に、「適者生存」は学術的には「生存しているものを環境に適応したものとみなす」という定義に過ぎないのに、日常的には「環境に適応すれば生き残れる」という因果関係として誤解されているという指摘があって、面白いと思いました。人間の脳って、ほんとこの手の解釈(誤解)が大好きですねと

先日読んだ統治功利主義の本では、人間の行為の「正しさ」はただ「結果として世の幸福量の増加に寄与したかどうか」によってのみ評価可能なのであって、それがどんな動機から生まれたかでは客観的には評価不能なのだけど、どうにも人間は直観的に「正しい行為をすれば世の中は良くなる」と誤解しがち、という話があって、根っこに似たものを感じます。

人間の脳がすぐ「この原因によってこの結果が引き起こされた」という因果関係を想定するのは、「現実を操作可能なもの」だと思い込みたいからだろうな〜と。そもそも人間の脳はありもしない自由意志を事後解釈で作り出しているというんだから、「因果関係の誤解のプロ」ってことですよね?「◯◯であれば仕事も人間関係もうまくいく!」みたいな自己啓発も、「私は◯◯だからダメなんだ…」みたいな認知の歪みも、だいたいこいつのせいでは?となります

@promenade11 適応は結果論なんですよね、最近、生物学のクラスタで、悪い意味でその辺りが誤解されて広まる、ということがあったのですが、生物は適応するために進化している、という大きな誤謬を与えてしまうことがあるのは、課題だと思います
TVなどのメディアでも「この種は〇〇のために進化させた」と主体的に述べることもあるくらいなので、根強い誤解なのだと思います
適応という言葉自体、使用を慎重になるべき、という話もありますし…

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