ちゃんとライムしなきゃって押韻の歴史をシェイクスピアまで遡るのはいいとして、率直に言って欧米のマーケットが日本のアーティストに求めているのはそういうオーセンティックなラップじゃないと思います。2000年代、バンコクからFUTONが出てきたりKonono No.1がジェフ・ミルズと並列して聞かれたりポップスに関してはよくもあしくも英語圏の「本場」感が希薄になって英米主導という感じではなくなってきていたんだけど、YOASOBIにちゃんとライムしろっていうのはそういう時代の流れに逆行する主張だなと思わなくもないです。
この辺Jay-Zのデフジャムサウス進出やコリアのアーティストのブラックミュージックカヴァーなんかを例に挙げながら「ワールド・ミュージック」の再興について分析していた菊地成孔の記事があったように記憶しているんですが、その中でもともとアメリカの音楽自体50年代からさまざまな民族の音楽がチャートにひしめきあっていただけとも言えるって指摘があり、それはそれで腑に落ちるものがあったんですよね。サーフミュージックがもともとはポリネシアの音楽だとかそういう例示もあり。