追悼ということで言うとout of noiseのhibariとasyncのLIFE, LIFEがいいんじゃないかなと思う。音楽への謝辞は音楽で返すのが筋というものだけれど、個人的には言葉も捨てたもんじゃないよという思いもあるので、hibariのモチーフになった夏目漱石の草枕から引用する。
忽(たちま)ち足の下で雲雀(ひばり)の聲(こえ)がしだした。どこで鳴いているか陰も形も見えぬ。
只聲だけが明らかに聞える。せつせと忙(せわ)しく、絶え間なく鳴いている。
方幾里(ほういくり)の空気が一面に蚤(のみ)に刺されて居たたまれない様な気がする。
あの鳥の鳴く音(ね)には瞬時の余裕もない。
長閑(のどか)な春の日を鳴く盡(つ)くし、鳴きあかし、又鳴き暮らさなくては気が済まんとみえる。
その上どこ迄も登っていく、いつまでも登っていく。
雲雀は屹度(きっと)雲の中で死ぬに相違ない。
登り詰めた挙句は、流れて雲に入って、漂ふているうちに形は消えてなくなって、只聲丈が空の裡(うち)に残るのかも知れない。