この辺りの「見え方/見せ方」の問題って、政治活動全般について回る話なのだけれど、「あの表現はちょっと引く」みたいな人はそれはそれで他のアイデアを出してやってみてくださいませ、というのはある。
別の所で同じようなことに関わっていた頃、「あいつらと一緒にされたくない」みたいな自意識がすごい人たちが、別のグループへの蔑視を始めて、そこから集団が割れて行ったのも見たことがある。だからこういうのを見る度に、もう少し許容出来ないものかな?って、もにょもにょするんだよね。
実際、安保法改正(2015)の時は、旧運動の人たちに混じってコピー機から出力したプラカを持って集った人は多かった。
過去は過去なので、また違ったやり方を模索した方が良いのではないかとも思うし。