結局正気とは何なのか、自分にとってどれが正気なのかまだわかってない

前は正気に返るフェーズと正気じゃない(そしてそのことに最中は気づいていない)フェーズがあったと思うんだけど、このところ正気に返ったなってなることがないから現状を「正気じゃない」と否定しても意味がないのでは、と思いかけたところでやっぱり全然正気じゃない……となり現在に至る(正気履歴書)

正気をめざすの向いてないっぽい、というところまで辿りついたけど、ひとの正気については興味あるのでインタビューできたらしたい

lioninthebottle.hatenablog.com

前に仰っていた、「ニュースとかを見て自分が何もできなかったことに(不合理に)落ち込んでしまう」は、視野狭窄ではなく、視野に対して被写界深度というか、関与/操作が可能な範囲を適切に調整できていない状態で、それはそれで正気ではない、と言えるとおもう

「音江さんは何もかもにベストを尽くしたがるよね(実際に尽くせているかはともかく)」と指摘されたことがあり、それまでひとから言われたことも自分で思ったこともなかったけどそのとおりだなと思ってずっと覚えているんだけど(言われてみれば座右の銘が「人事を尽くして天命を待つ」である、座右の銘っていうかだいたい尽くせてないので目標だけど)、何もかもにベストを尽くしたいというのは「全てをコントロールしたい」という近代的な欲望に非常に近く、それは人文学のタームとしての正気/狂気のとおりなわけで、正気なんか求めるほうが狂気の沙汰かも 理性に負けるなというやつです

「機械的な宇宙(ユニヴァース)において、また機能的に理解される情念の分野にあって、〔……〕それ〔=欲望(の強力なアウラ)〕はたんに、人々が自ら正気になり、緩衝材に覆われた十全なアイデンティティを獲得するまで彼らを捉えて離さない、混乱した過剰な感情にほかならないとされる。」(チャールズ・テイラー『世俗の時代』上、p. 166)

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