小学校の頃は、方眼紙に迷路を書いて友だちに解いてもらったり、暗号文を送って解読してもらったりしてたの思い出したよ。

ベーマガに投稿したり、サークルに参加して会誌に寄稿したり。

高校のパソコン部に入って、お互いに作ったゲームを遊ばせたり、開発ツール作って使ってもらったり、共同開発したり。

専門学校ぐらいの頃に草の根パソコン通信ホスト局を自分で設置できるようになって、そこからは夜な夜なチャットしつつ(テレホタイム)、仲間を集めて盛り上がったりしたよ。

作ったプログラムや画像をアップロードするだけじゃなく、ネットワークが分断していたので、別のホスト局に転載する文化があったよね。転載した人が、質問とか感想についても転載先に伝えたりするの。
QT: misskey.io/notes/9x85c0n4o7ih0
[参照]

健田(けんた)  
インターネット老人会の方々、丁度ネット黎明期 を過ごされたかと思うのですが、皆様は湧き上がる 創作意欲をどう処理していましたか? 私は小中学生時はノートに漫画を描いて友達と 交換してました。高校でネット環境が出来て お絵描き掲示板や、スキャナーで取り込んで ミクシィとかにあげたりしましたね

掲示板前夜だとホストがバラバラだからこそ
ソースを開示しつつ共有する文化があったんですかね、興味深いです。
アナログとデジタルがまだ曖昧だった時代の、貴重なお話を
ありがとうございます。

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流通手段が限られていたので、大手のNIFTY-Serveとか草の根BBSの間で有用なソフトやお気に入りのCG、MIDIデータなどを有志が転載していました。

ダウンロードだけする人は嫌われて、一定のアップロードをすることでコミュニティに貢献する(UP/DOWNレートがあったりする)習慣もあって、推奨されていた経緯もあります。

転載するだけして面倒をみない人もいましたが、連絡役になることと、最新版が更新されたらその人が引き続き転載してくれるのを頼りにしていました。

基本的にそれぞれが作者や転載者に感謝していて、それがモチベーションになっていた面もあったかと思います。

フリーソフト以外にも、ビアウェア(気に入ったら作者にビールをおごる)とかたくさんあったよね。

他の流通手段は、VectorのCD-ROM付き書籍に収録されるぐらいだったかも。

どんなに有用なフリーソフトを公開・配布しても、有志の助けを借りないと簡単に行き渡らない時代でした。

ありがとうございます
初期の掲示板、P2Pないし動画共有サイトなどでのいわゆる
「クレクレ君」が徹底的に忌みい嫌われていたのはそのあたりの
文化からの地続きだったのかもしれませんね。
相互扶助が根付いていたからこそ、一人一人のユーザーが
支えているという意識があったのかもしれませんね~。
その辺り何とも面白いですね

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