"それでも人生にイエスと言う"(ヴィクトール・エミール・フランクル, 山田 邦男;松田 美佳 著)から
"カントその人が定言命法の第二式(注*「汝の人格およびあらゆる他の者の人格における人間性をつねに同時に目的として取り扱い、けっしてたんに手段としてのみ取り扱わないように行為せよ。」『道徳形而上学の基礎づけ』)でつぎのように述べていたからです。 「あらゆる事物は価値をもっているが、人間は尊厳を有している。人間は、決して、目的のための手段にされてはならない。」 けれども、もうここ数十年の経済秩序のなかで、労働する人間はたいてい、たんなる手段にされてしまいました。自分の尊厳を奪われて、経済活動のたんなる手段にされてしまいました。もはや、労働が目的のための手段に、生きていく手段に、生きる糧になっているということですらありませんでした。むしろ、人間とその生、その生きる力、その労働力が経済活動という目的のための手段になっていたのです。"
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"右派はなぜ家族に介入したがるのか: 憲法24条と9条"(中里見 博, 能川 元一, 打越 さく良, 立石 直子, 笹沼 弘志, 清末 愛砂 著)から
"こうした生来の自由を平等に保障する手段として国民みんなの協力によってつくりだされたのが国家です。国民みんなが人権を守るために国家をつくって協力しようと言って結んだ約束が憲法です。この生来の権利である人権は「侵すことのできない永久の権利」(憲法11条)です。仮に人権を不当に制限する法律を国民の代表である国会が定めたとしても、それは違憲無効となります(憲法98条)。一人ひとりの個人が、それぞれ自由に自分の幸福を追求して生きることを平等に保障しよう、というのが日本国憲法の目的なのです。"
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いまの国家そのものが違憲じゃないですかね